デジタル化への道(「DX」、その前に)

浅間山

浅間山

前回の気づきのヒントでは、本年が、コロナパンデミックを乗り越える希望の年になるように、期待を込めてお話ししました。そんな矢先、残念なことに、ロシアによるウクライナ軍事侵攻が始まってしまいました。私たちは、コロナパンデミックに加えて、この不条理な戦争という世界史的災禍を目の当たりにしているのです。私たちの想像を超えた現実がそこにあります。ウクライナに、一日も早く平和な日々が訪れることを願ってやみません。

最近よく「デジタル」という言葉を耳にします。テクノロジーの世界ではもちろんですが、デジタル庁、デジタル田園都市構想など、政治の世界でも同様です。ついこの間まではIT(情報技術)という言葉が使われていたと思うのですが、新しい言葉で消化不良を起こさなければ良いのですが・・・

また、デジタルトランスフォーメーション(以下DXと略す)という言葉もよく聞きます。デラックスの「DX」ではないのですが、この「DX」という言葉、どうも言葉が独り歩きしていて、分りにくいと思うのは私だけでしょうか。「DX」は、2004年にスウェーデンの大学教授エリック・ストルターマン氏が提唱したもので、「ITの浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させる。」との仮説に基づいていると言われています。こうした定義のもとに、多くのベンダーや組織が様々な意味付けを与えています。また、使われる文脈によって多様な意味を持っていることも、言葉の曖昧さを増しているのかもしれません。

コロナパンデミックで明らかになった我が国のデジタル化の遅れは、「デジタル敗戦」とも言われ、デジタル庁発足の契機にもなりました。技術立国日本と言われ、「ものづくり」の強みを謳歌している一方で、ここに来てデジタル化の後進性が顕在化しています。経済産業省が2018年に策定した「DX推進ガイドライン」では、こうした現状を変革、克服するという文脈でも「DX」が使われているようです。

1993年にマイケル・ハマーとジェイムズ・チャンピーが提唱したBPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)は、一世を風靡しました。「コスト、品質、サービス、スピードなどのパフォーマンスを劇的に改善するために、ビジネス・プロセスを抜本的にデザインし直すこと」、そしてそのためにITを活用するというのです。ゼロベースからビジネス・プロセスをリデザインするという、白紙アプローチも提唱されました。ところが、我が国ではBPRを伴わない(あるいは不十分な)IT投資が数多く行われ、結果的に非効率なビジネス・プロセスが固定化されてしまいました。本来、手段であるべき「IT化」自体が目的化されてしまったのです。今さらBPR?と言われそうですが、行政機関や企業において、このBPRを担える人材、すなわちビジネス・プロセス、サービス・プロセスをリデザインできる人材が決定的に不足していることも、今日の状況を招いてしまった大きな原因のように思えるのです。デジタル人材の不足、IT人材の不足はよく言われますが、ビジネス・プロセスの変革や、現場が求める新しい行政サービスを創出できる人材やその理解者、促進者を増やすことが、デジタル化のための喫緊の課題なのです。

「IT」にしても「デジタル」にしても、目的を実現するための手段であり、方法論なのです。その目的は何か、誰のためにどんな価値を生み出すのか、また、それによってどんな課題を解決するのか、そのことが大切であり、そこが知恵の出し所だと思うのです。そのことにおいては、「IT化」も「DX」も本質は変わらないというのが私の考えです。「DX」も、それ自体が目的化された時点で、もはやそれは単なる「IT化」と何ら変わりません。我が国では、DXプロジェクトの8割以上が失敗していると言われていますが、本来の目的を見失い、手段や方法論の議論に終始してしまっていることも、要因の一つかもしれません。

台湾のデジタル担当大臣であるオードリー・タン氏は、「IT」と「デジタル」は全く別のものと言っています。「IT(Information Technology)」とは機械と機械をつなぐものであり、「デジタル(Digital)とは人と人をつなぐもの」というのが、氏の説明です。しかも、この説明は日本の人たちのために作ったと言っています。技術や手段、方法論の話に終始しがちな日本人のメンタリティを理解しているのでしょうか。もちろん、マイケル・ハマーの時代には存在しなかった、スマホやAI、クラウドなどの新しいITが、新しいビジネスモデルを生み、ビジネスの可能性を広げていることも確かでしょう。この様にして生まれる新しいビジネススタイルや組織形態を「DX」と呼ぶのは分り易いと思います。オードリー・タン氏が言うように、そこで主役になるのは「人」であり、「人と人のつながり」なのでしょう。

SNSの登場によって、戦争のあり様も変わりました。私たちはウクライナで起きていることをリアルタイムで見ること、知ることができます。誰でもスマホがあれば、世界中に発信できるのです。その一方で、プロパガンダやフェイクが溢れ、情報統制が厳しさを増し、さながら情報戦争のようです。今更ながら、次の言葉を噛み締めるばかりです。

「テクノロジーは『私たちが誰か』を変えるのではなく、私たちの良いところも悪いところも『拡大』する。」(ティム・クック、米アップル最高経営責任者)

 

本コラムでは、以下の文献を参考にさせていただきました。

「なぜデジタル政府は失敗し続けるのか 」 日経コンピュータ (日経BP) 2021

 

新型コロナウィルスを超えて

中国武漢に端を発した新型コロナウィルスによるパンデミック(世界的大流行)は、あっという間に世界中に広がり、その景色を一変させました。アメリカでの死者は10万人を超え、第一次世界大戦での戦死者(11万7千人)に迫る勢いです。世界各地で都市封鎖が行われ、猛威をふるっています。ここに来て、ヨーロッパでも感染のピークを越えた国々も出始めていますが、制限解除による経済活動の再開と感染防止との両面での難しい舵取りが始まっています。

日本でも、全都道府県に拡大されていた緊急事態宣言が全て解除され、感染の第二波を警戒しながら、少しずつ社会活動を再開する新しいフェーズに入りました。一時は医療崩壊の危険が叫ばれ、オーバーシュートの一歩手前までいきましたが、どうにか持ちこたえることができそうです。欧米のような都市封鎖(ロックダウン)を行わずに感染を封じ込められたことは、外出自粛や営業自粛など、国民一人一人の努力、頑張りによることは間違いありません。また、今も医療現場を支えている医療関係者の献身的な頑張りは勿論のこと、介護の現場を始め、生活必需品の生産や物流などの社会インフラを支える皆さんの努力があったことを忘れる訳にはいきません。

こうした一方で、PCR検査体制の不備や医療現場でのマスク、防護服などの不足が顕在化しました。なかなか増えないPCR検査数には、正直ヤキモキしました。既に全自動の検査機が国内で作られているのに、何故か国内では使われていない、という報道には驚かされました。また、国の感染対策のスピード感の無さや、現場を軽視する硬直化した組織の体質など、日本社会の弱点が見えてきたことも事実です。また、IT技術の利用がまだまだ遅れていることも、明らかになってきました。これらの点については、批判のための批判ではなく、どこに問題があるのか検証し、改善すべき点は速やかに改善して、第二波、第三波の到来に備えることが必要です。

100年前に発生したスペイン風邪では、世界人口の4分の1、5億人もの人々が感染したと言われています。ちょうど第一次世界大戦の最中で、参戦国では情報統制が行われていたために、被害をより大きくしたと言われています。100年前には、現在のようにウィルスの特定やPCR検査などもありませんでした。また、日本でも、感染防止対策はほとんど行われず、1918年8月から1921年7月までの三年に亘って、合計三回の感染流行があり、合わせて2,080万人が感染し、39万人近い犠牲者を出しました。(内務省衛生局のデータより)当時の人口が5,500万人ですから、約半数が感染したことになります。

第一次世界大戦の終結に際して行われたパリ講和会議も、そうした感染の中で行われました。敗戦国に多額の賠償額を求めるフランスやイギリスに対して、反対したのはアメリカ大統領のウッドロウ・ウィルソンです。ところが、会議の途中でスペイン風邪に罹ってしまい、結局ドイツに莫大な賠償額が課されてしまいます。その事が、後のナチスの台頭を許し、第二次世界大戦を引き起こしたことは、ご存知のとおりです。

このように、パンデミックはその後の世界に様々な影響を与え、想定できない変化をもたらすことも歴史が教えています。今回のパンデミックでも、WHOの対応や香港の自治をめぐって、米中の対立がさらに激化しており、コロナ以後の新たな火種になりそうです。

新型コロナウィルスではまだ分かっていないことも多く、治療薬やワクチンができるまでは、気を緩めることはできません。その一方で、新しい価値観やスタイルが生み出されようとしていることも確かです。

テレワークも、コロナ以前は掛け声先行のきらいもありましたが、感染リスクを減らす新しいワークスタイルとして定着しそうです。もちろん、全ての労働がテレワークで、という訳にはいきませんが、それぞれの現場にあった、新しいワークスタイルや、コミュニケーションのあり方など、模索が始まっています。都市部への人口集中のリスクも、今回の教訓として挙げられると思います。働く場所を選ばないワーカーの地方への移住や、地方の良さを生かしたワーキングプレイスの提供など、掛け声だけではない地方創生が現実味を帯びてきそうです。

また、教育の現場でも、新しい学びのスタイルへの挑戦が始まっています。本来であれば、この四月から小学校でプログラミング教育がスタートしているはずでした。今回のコロナ感染を契機に、オンライン授業などのITの活用も加速するでしょう。さらに、ITを活用することで、効率を上げながら、一方でよりきめ細かな教育、主体的な学びを重視した新しい取り組みが行われることを期待したいと思います。

元首相補佐官の岡本行夫氏が、新型コロナウィルスで亡くなったというニュースは衝撃的でした。私たちは、それぞれの立場で今まで以上に知恵と勇気を出し、変化への対応力を身につけて、コロナ以後の新しい価値観やスタイルを生み出していくことが求められていると思うのです。

決して折れない心

別所温泉北向観音

別所温泉北向観音

別所温泉北向観音

別所温泉北向観音

新しい年、2018年。初詣に別所温泉の北向き観音に行ってきました。以前お参りした時は、別所温泉駅のあたりからずっと人が並んでいたのですが、今回は、北向き観音の手前で少し並んだだけで、お参りすることができました。ちょっと寂しい気もしますが…今年一年、良い年にしたいものです。

新しい年を迎えるたびに、世の中が変わるスピードが速くなっているように感じます。ネットやスマホはもはや当たり前ですし、AI(人工知能)の進歩は、IT(情報技術)や自動車などと結びついて、急速に人と技術の距離を縮めています。AIとはいっても、まだまだ「AIもどき」が多いのも事実なのですが、人間の得意技である「学習する能力」を身に付けて、活用の場をさらに広げていくことでしょう。人とAIの距離が縮まるにつれて、様々な議論が巻き起こりました。どんな仕事がAIにとって代わられるのかなど、気の早い議論も週刊誌を賑わしました。AIの進歩は、改めて「人間とは」という問いかけを発しているようです。

年末に、海洋冒険家白石康次郎さんの講演を聞く機会がありました。白石康次郎さんといえば、世界一過酷な世界一周ヨットレース「ヴァンデ・グローブ」に、アジア人として初めて出場したことでも有名です。今回は、残念ながらレース途中でメインマストが折れてしまい、途中棄権となりましたが、4年後の再出場を目指しているとのことでした。講演会のテーマは「決して折れない心」。白石さんがヨットマンとして、どのように夢を実現したのか、その生き方について話されました。幾度もの失敗や挫折を乗り越え、何度も涙を流してきた白石さん。そんな逆境から逃げずに闘ったことで、今の白石さんがあるのでしょう。本当にいい顔をされていました。

白石さんが大学生と一緒に作った「マイナスをプラスに変える行動哲学」という本があります。現役の大学生と白石さんが、5人のトップアスリートとのインタビューを通じて、その行動を支える哲学に迫るというものです。トップアスリートといえば、天賦の才能を与えられた一握りのエリートと考えがちですが、彼らも生身の人間。怪我もすれば悩みもします。そんな逆境のなかで彼らを支え、逆境を克服できた思いや哲学、そんなトップアスリートの生の声には、私たちにも気づかされることがたくさんあります。

また、大学生の持つ漠然とした不安や本音なども、この本から伝わってきます。何でも手に入る様で、実は本当にやりたい事や目指すものが見つけにくい今の世の中。失敗を恐れずにチャレンジしよう、ときれい事を言われても、いざ失敗すれば、打って変わって厳しい叱責。これでは、失敗を恐れて、チャレンジすることに二の足を踏む若者が増えるばかりです。白石さんは、そんな失敗に寛容でない社会を作ったのは今の大人達、とかなり手厳しい。

終身雇用が崩れて久しい今日、先日の新聞報道によれば、「自己啓発」市場は9,000億円に拡大し、平成元年に比較して3倍に伸びているそうです。大企業の経営破綻やリストラなど、将来の不安がそんな動きを後押ししているのでしょう。もはや、自分の成長は自分で責任を持つ時代なのかもしれません。

人は誰でもはじめから完全ではありません。失敗や苦難を経験して、それらを乗り越えることで成長していくのです。社会に出たばかりの若者たちには失敗する権利があるのです。若者たちにチャレンジすることをためらわせてはいけません。「失敗を人のせいにしない」、「自分に配られたカードで勝負するしかない」という白石さんの言葉は、人間だけに許された、「折れない心」を育てる上で欠かせない大切なことを示していると思うのです。

「もし、過ちを犯す自由がないのならば、自由を持つ価値はない。」

-マハトマ・ガンジー-

以下の文献を参考にさせていただきました。

「マイナスをプラスに変える行動哲学」 白石康次郎著 (生産性出版) 2013

 

ディープラーニングとAI

上田真田まつり 武者行列

上田真田まつり 武者行列

上田真田まつり 真田鉄砲隊演武

上田真田まつり 真田鉄砲隊演武

上田真田まつり 決戦劇

上田真田まつり 決戦劇

4月24日(日)に、「上田真田まつり」が催されました。武者行列には、大河ドラマ「真田丸」で真田昌幸を演じる草刈正雄さんをはじめ出演者の方々も参加して、花を添えていました。また、午後には真田鉄砲隊の演武や第一次上田合戦をモチーフにした決戦劇が行われ、その迫力ある演武に大きな歓声が上がっていました。

先日、グーグルの「アルファ碁」1が世界的な棋士、李九段(韓国)に4勝1敗で勝ったことが報じられました。既にチェスや将棋ではコンピュータが人間に勝っていますが、囲碁はその局面や打つ手の多さから、コンピュータが人間に勝つのにはまだ10年はかかる、と言われていたものです。

「アルファ碁」のソフトウェアには、囲碁のルールが組み込まれていないそうですが、そこが、従来のルールに基づく人工知能(以下AI※2)とは大きく違っているところなのです。「アルファ碁」には、ディープラーニング(深層学習)※3という人間の脳をモデルにした技術が使われています。グーグルでは、このディープラーニングの技術を使って、AIが「ネコの顔」を識別できるようになったそうです。従来は、「ネコの顔」の特徴をコンピュータに教える必要がありましたが、コンピュータ自らが学習してルールを生み出すことを可能にしたのです。「アルファ碁」では、グーグルが持つ大規模なコンピューティング環境を活用して、3000万局という膨大な自己対局をこなしたといいます。仮に毎日100局指したとしても、約800年はかかる膨大な数です。こうした対局から様々な局面を学習し、世界的な棋士にも勝てるだけの実力を身に付けていったのでしょう。ただ、一方で、プロはまず打たない手を打つなど、その弱点も見えてきたようです。コンピュータ自らが学習したルールが人間には見えないだけに、その解析もかなり難しいようです。

 

AIというと、一見私たちには縁遠いようですが、私たちの身の回りには、既にたくさんのAI的なものが存在しています。例えば、身近なスマホの音声認識は、一昔前のものと比べると格段に進歩しています。さらに、Siriなど、アシスタントとしての人格を持っているようにもみえます。また、YouTubeやAmazonなどのサイトでは、閲覧者の好みを先取りした検索が行われていますし、ロボットも、最近ではサービスやコミュニケーションのツールなどに適用分野も広がっています。自動運転もAIの応用分野として、各社がその開発に鎬を削っているのはご存じのとおりです。もちろん、こうしたAIの全てが「アルファ碁」のようにディープラーニングが適用できるわけではありませんが、適材適所でその可能性が模索されはじめています。

今まで、AIはブームと停滞期を繰り返してきました。日本では1980年代に通産省が音頭をとって第五世代コンピュータプロジェクトが行われ、世界に先駆ける試みがなされました。ディープラーニングのもとになっているニューラルネットも、そのころに産声をあげたものです。ところが、残念ながら当時のコンピュータの能力は現在のものとは比べ物になりませんでしたし、ネットワークやクラウドそしてビッグデータなどももちろん存在してはいません。そのために、大きく膨らんだ夢も失望に変わってしまったのです。ところが、これまでの技術の進歩によって、ようやくAIを実用化するための基盤が揃ってきたように思われます。Androidの生みの親アンディ・ルービン氏も、「アルファ碁」は「AIの潜在能力のごく一部」に過ぎず、今後さらにその応用が加速するといっています。また、「クラウドコンピューティングこそAIの頭脳であり故郷」だとも言っています。

今後は、ニューラルネット専用のチップや学習機能のハードウェア化なども進み、新しいインフラであるクラウドコンピューティングやビッグデータなどがAIを支える基盤になることでしょう。サイバー空間の安全対策やセキュリティ問題などの課題もありますが、AIがこれからの世界を変える力になることはどうやら間違いなさそうです。AIを救世主にできるのか、それとも悪魔の使いにしてしまうのか、いずれにしても、私たち人類の「考える力」が試されそうです。

 

※1 「アルファ碁」・・・グーグル傘下のディープマインド社が開発した人工知能(AI)

※2 AI・・・Artificial Intelligence(人工知能)の略

※3 ディープラーニング(深層学習)・・・機械学習の手法のひとつ。多層化されたニューラルネットから構成されており、マシンが学習データから自動的に特徴やルールを抽出する。

以下の文献を参考にさせていただきました。

日経ビジネスONLINE 「AIの「人間超え」、その時トップ囲碁棋士は」 高尾紳路 (日経BP社) 2016/3/19

 

問題解決の心

長谷寺

長谷時(真田氏の菩提寺)
 幸隆夫妻、昌幸の墓がある。

真田氏本城跡

真田氏本城跡

信綱寺遠景

信綱寺遠景
長篠の戦いで討死した幸隆の長男信綱夫妻の墓がある。

 

先日、真田の里を巡る機会がありました。真田幸村(信繁)の父昌幸や祖父幸隆にゆかりの寺院や城跡などを散策し、歴史の重さとロマンを身近に感じることができました。いよいよ大河ドラマ「真田丸」も始まります。改めて戦国の時代に思いを馳せてみたいと思っています。

今回は、私と問題解決との出会いについてお話ししたいと思います。話は、会社に入ってソフトウェアの開発を始めた頃にさかのぼります。もう40年近く前のことですが・・・

もちろん、まだPCが生まれる前で、ソフトウェアのことなど、ほとんど知られていない時代でした。私も、訳も分からないままにそんな世界に飛びこんだのです。

ソフトウェアの開発では、不具合(バグと呼ばれています)の改修がつきものです。当時は、今のように便利な開発ツールがあるわけでもなく、多分に感覚的なバグ探し、バグ潰しでした。感覚を解き澄ませて、ちょっとしたコンピュータの動きや表示されるメッセージなどからバグを見つけていくのです。まずこの辺りがあやしい、とアタリをつけるのですが、先輩は事もなげにやってしまいます。直観が働くのでしょう。そんな先輩の鋭さにはいつも驚かされていました。何時になったら自分も先輩のようになれるのだろう、と途方にくれたものです。

もちろん、誰もバグ探しのコツを教えてはくれません。ところが、不思議なもので、見よう見まねでやっていたことが、だんだんと身に付いてくるものです。先輩は日頃は厳しいのですが、仕事を離れると、お酒を飲みながらいろいろな話をしてくれました。そんなおかげもあったのかもしれません。先輩の話の中に、「厄介なバグは夢の中で見つける」というものがありました。そんなことがあるのかと半信半疑だったのですが、実際に経験することになろうとは、思ってもみませんでした。

システムの保守を担当することになってしばらく経った頃、不具合発生の連絡が入りました。なんとしても解決してやろう、とひとり現地に向かったのですが、この不具合はとても難問でした。不具合を起こそうとしても、なかなか再現できないのです。起きてほしい時にはなかなか起こらないものです。そうこうするうちに、一日が過ぎ、二日が過ぎてしまいました。

ようやく現象は分かったのですが、その原因がなかなか分かりません。不具合の現象から様々な仮説を立てるのですが、どれも当たりませんでした。今度こそ間違いない、と思っても、裏切られてしまうのです。正直、逃げ出したくなりました。そうこうしているうちに、とうとう夢の中でバグ探しを始めていたのです。よっぽど追い込まれていたのでしょう。夢の中で見つけたヒントをたよりに、ようやく不具合の原因にたどり着き、無事バグを修正することができました。今となっては、その原因が何だったのか覚えてはいませんが、たしか、複数の原因が絡んでいたように記憶しています。解決までに、ちょうど一週間が過ぎていました。

今思えば、この一週間、あきらめずに一人でバグと向き合ったことが、その後の私に大きな影響を与えてくれたように思います。その後も、いろいろと困難な場面を経験しましたが、その時の経験があったおかげで、どうにか乗り越えてこられたと思っています。ちょうどその頃、問題解決で有名なワインバーグ先生を知りました。私が実際に経験したことから、ワインバーグ先生の話に共感できるところも多く、ソフトウェア開発と問題発見・問題解決に共通する点に気づくことができました。

私たちのまわりにはいろいろな問題がありますし、予期しない問題も起こるものです。そうは言っても、できれば問題には関わり合いたくないのが人情でしょう。また、感情的な行き違いが、解決を一層難しくしてしまうこともあります。でも、問題から目を背けてしまっては、問題を解決することはできません。まず問題と向き合うことが、解決への第一歩なのです。また、最初に問題を見誤ってしまうと、その解決をこじらせ、もぐら叩きの迷路に迷い込むことになりかねません。問題解決は、最初が肝心なのです。まずは、問題を冷静に受け止め、問題の本当の姿を知ろうとすることです。問題が起きると、つい解決を急いでしまいますが、そんなことも問題を見誤ってしまう一因かもしれません。

どんなに困難に見える問題にも、必ず解決策や解決の糸口があるはずです。また、問題解決に取り組むことで、新しい発見や気づきが生まれ、ピンチをチャンスに変えるヒントに出会うこともあります。そのためにも、問題に向き合い、解決をあきらめない心を育てることが大切だと思うのです。

 

「私は頭が良いわけではない。ただ人よりも長い時間、問題と向き合うようにしているだけである。」

アインシュタイン

 

考える力とITツール

真田幸村公出陣ねぶた

真田幸村公出陣ねぶた

真田幸村公出陣ねぶた

真田幸村公出陣ねぶた

 

近年のITツールの進化には、目覚ましいものがあります。身近なところではスマートフォンがそうですし、インターネット、クラウドなどのネットワーク環境もずいぶんと便利になりました。このコラムで取り上げてきた「考える力」も、こうしたITツールと組み合わせることによって、さらに強めることができるのです。 

スマートフォンには、カメラと連動した便利なアプリが数多く出回っています。スーパーなどでもらってきたレシートの写真を撮るだけで家計簿が作れるアプリなど、一昔前のコンピュータでは、とてもそんな芸当はできませんでした。WordExcelのテンプレートも、小規模なビジネスではそのまま使えそうなものもあります。また、PowerPointSmartArtグラフィックには、階層、手順やマトリクスなどの構造を表現するための様々な図形が用意されています。これらは、プレゼングラフを作る際にとても便利なものですが、私たちがものごとを考える際のフレームワークとしても使うことができます。また、インターネットは、巨大な知識・情報バンクとして、私たちが考えを進める際に活用できることは言うまでもありません。

 これらはほんの一例ですが、ITツールを使いこなすことで、私たちの「考える力」や知的生産性は格段に伸ばすことができるのです。もちろん、そのための基盤が私たちの「考える力」であることはいうまでもありません。

 ところが、スマホ中毒やゲーム依存、メールでの言葉の乱れなど、悪い影響が出ている面もあります。残念なことです。スマートフォンを使うことで、かえって大切なものを見失い、ものごとを考えなくなってしまうとしたら、それこそ本末転倒です。知識や情報を手に入れると、それだけでなにか賢くなったような気持ちになってしまいますが、それらを自分なりに消化して初めて、自分の視野を広げ、知恵や価値を生み出すことができるのです。ITツールの進化は、知識や情報の入手を容易にする一方で、そうした誤解や混乱を助長しているのかもしれません。ITツールは道具であって、それらを使いこなすのはあくまでも私たちなのです。

 AppleSteve Jobs氏は、生前、社内でプレゼンテーションツールの使用を禁止していたと聞いたことがあります。プレゼンテーションツールを使うことで、かえって知的生産性が落ちる、というのがその理由だそうです。プレゼンテーションツールが商売道具である私にはたいへん耳の痛い話ですが、彼のシンプルな美意識がそうさせたのかもしれません。彼のプレゼンが卓越していたことはたいへん有名です。彼のプレゼンは、あくまでも商品を前面に出したシンプルなものでした。商品のすばらしさとそこに凝縮されたアイディアを、実際に商品を手に取りながら直接カスタマーに伝える。そのプレゼンが生み出す効果は絶大でした。

 便利なITツールを手に入れた今こそ、そうした道具を使いこなして、私たちの「考える力」や知的生産性を向上させる、またと無いチャンスなのかもしれません。

 

ワインバーグ先生のこと

今回は、G.M.ワインバーグ(以下、敬意を込めてワインバーグ先生と呼ばせていただきます)についてお話ししたいと思います。 

ワインバーグ先生は、ソフトウェア開発の黎明期から現在にいたるまで、技術分野におけるリーダーシップのあり方や、問題発見・問題解決等について、多くの著作を世に出しています。先生の著作には有名なものが数多くありますので、読まれた方もいらっしゃることでしょう。ワインバーグ先生は、もともとIBMでソフトウェアの開発を行っており、NASAのマーキュリー計画にも参加しています。その後、コンサルタントとして独立し、企業へのコンサルティングやワークショップなどを行っています。 

私がソフトウェアの世界に飛び込んだ頃は、ソフトウェア開発に関連する本はほとんど無く、みんな手探りで格闘していたものです。コンピュータやソフトウェアに関連する情報があふれている今とは大違いです。私がワインバーグ先生を知ったきっかけは、コンピュータ雑誌「bit」に連載されていた「イーグル村通信」というコラムです。そこで、ワインバーグ先生の鋭い警句とユーモアあふれる文章にすっかり魅了されてしまったというわけです。 

仕事を覚え、まわりが見え始めたころ、トラブルに陥ったプロジェクトの再建を担当することが多くなりました。日々、次々に発生する問題や迫りくる納期と格闘する中で、チームリーダーとしての力不足を感じ、自信を持てないでいたものです。そんな中で、ワインバーグ先生の著書「スーパーエンジニアへの道」と巡り合いましたが、そこには、リーダーの役割や心構え、効果的なチーム運営など、私の現実の悩みや疑問に気づきやヒントを与えてくれる温かい言葉があふれていました。 

ワインバーグ先生は、リーダーシップをプロセスとして捉えています。そして、そのプロセスとは、「人々に力を与えるような環境を作り出すプロセス」であり、そして、「人は力を与えられると、自由に見、聞き、感じ、発言するようになる」のです。まさに、人を生かすこと、それがリーダーシップだというのです。また、プロセスであるということは、継続的に進化することを意味します。初めは小さな芽でも、経験から学び、大きく、望ましい形へと育てていくことができるのです。もちろん、経験のなかで、失敗することもあるでしょう。でも、失敗も大切な経験ですから、心がけ次第で失敗からもたくさんのことを学ぶことができるのです。 

リーダーシップというと、とかく生まれつき身に付いているものであるとか、ヒーローとリーダーシップを結び付けて考えがちですが、このような議論は、表面的な見方にもとづいたものと言えるのかもしれません。 

また、ワインバーグ先生は、リーダーにとってアィデアが大切であることも指摘しています。リーダーシップのMOIモデルといわれるものです。このモデルで、ワインバーグ先生はリーダーをリーダーたらしめる要素として、以下の三つを挙げていますが、その中に、アイディア、イノベーションが含まれています。

  M・・・動機づけ(Motivation)

        関係する人を突き動かす何ものか

  O・・・組織化(Organization)

        アイディアを実際に実現することを可能にする、既存の構造

  I・・・アイディア(Idea)ないし技術革新(Innovation)

        タネ、実現されるもののイメージ

実際に、解決を迫られている問題に立ち向かう時、リーダーを助けるのはアイディア、解決策のタネなのです。このタネを示すことで、メンバーの知恵が集まり、問題は解決へと向かいはじめるのです。今日のように、変化が常態化し、常に変わることを求められるようになると、アイディアは技術の世界だけでなく、全てのリーダーが持つべきものといえるのかもしれません。 

次回は、今回に引き続いてワインバーグ先生が語る問題発見・問題解決についてお話したいと思います。

 

以下の文献を参考にさせていただきました。 

「スーパーエンジニアへの道-技術リーダーシップの人間学-」

        GM・ワインバーグ 著  木村 泉 訳  (共立出版) 1991

 

※「bit」は共立出版のコンピュータサイエンス誌で、現在は休刊している。 

 

別所線「自然と友だち号」

別所線「自然と友だち号」