デジタル化への道(「DX」、その前に)

浅間山

浅間山

前回の気づきのヒントでは、本年が、コロナパンデミックを乗り越える希望の年になるように、期待を込めてお話ししました。そんな矢先、残念なことに、ロシアによるウクライナ軍事侵攻が始まってしまいました。私たちは、コロナパンデミックに加えて、この不条理な戦争という世界史的災禍を目の当たりにしているのです。私たちの想像を超えた現実がそこにあります。ウクライナに、一日も早く平和な日々が訪れることを願ってやみません。

最近よく「デジタル」という言葉を耳にします。テクノロジーの世界ではもちろんですが、デジタル庁、デジタル田園都市構想など、政治の世界でも同様です。ついこの間まではIT(情報技術)という言葉が使われていたと思うのですが、新しい言葉で消化不良を起こさなければ良いのですが・・・

また、デジタルトランスフォーメーション(以下DXと略す)という言葉もよく聞きます。デラックスの「DX」ではないのですが、この「DX」という言葉、どうも言葉が独り歩きしていて、分りにくいと思うのは私だけでしょうか。「DX」は、2004年にスウェーデンの大学教授エリック・ストルターマン氏が提唱したもので、「ITの浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させる。」との仮説に基づいていると言われています。こうした定義のもとに、多くのベンダーや組織が様々な意味付けを与えています。また、使われる文脈によって多様な意味を持っていることも、言葉の曖昧さを増しているのかもしれません。

コロナパンデミックで明らかになった我が国のデジタル化の遅れは、「デジタル敗戦」とも言われ、デジタル庁発足の契機にもなりました。技術立国日本と言われ、「ものづくり」の強みを謳歌している一方で、ここに来てデジタル化の後進性が顕在化しています。経済産業省が2018年に策定した「DX推進ガイドライン」では、こうした現状を変革、克服するという文脈でも「DX」が使われているようです。

1993年にマイケル・ハマーとジェイムズ・チャンピーが提唱したBPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)は、一世を風靡しました。「コスト、品質、サービス、スピードなどのパフォーマンスを劇的に改善するために、ビジネス・プロセスを抜本的にデザインし直すこと」、そしてそのためにITを活用するというのです。ゼロベースからビジネス・プロセスをリデザインするという、白紙アプローチも提唱されました。ところが、我が国ではBPRを伴わない(あるいは不十分な)IT投資が数多く行われ、結果的に非効率なビジネス・プロセスが固定化されてしまいました。本来、手段であるべき「IT化」自体が目的化されてしまったのです。今さらBPR?と言われそうですが、行政機関や企業において、このBPRを担える人材、すなわちビジネス・プロセス、サービス・プロセスをリデザインできる人材が決定的に不足していることも、今日の状況を招いてしまった大きな原因のように思えるのです。デジタル人材の不足、IT人材の不足はよく言われますが、ビジネス・プロセスの変革や、現場が求める新しい行政サービスを創出できる人材やその理解者、促進者を増やすことが、デジタル化のための喫緊の課題なのです。

「IT」にしても「デジタル」にしても、目的を実現するための手段であり、方法論なのです。その目的は何か、誰のためにどんな価値を生み出すのか、また、それによってどんな課題を解決するのか、そのことが大切であり、そこが知恵の出し所だと思うのです。そのことにおいては、「IT化」も「DX」も本質は変わらないというのが私の考えです。「DX」も、それ自体が目的化された時点で、もはやそれは単なる「IT化」と何ら変わりません。我が国では、DXプロジェクトの8割以上が失敗していると言われていますが、本来の目的を見失い、手段や方法論の議論に終始してしまっていることも、要因の一つかもしれません。

台湾のデジタル担当大臣であるオードリー・タン氏は、「IT」と「デジタル」は全く別のものと言っています。「IT(Information Technology)」とは機械と機械をつなぐものであり、「デジタル(Digital)とは人と人をつなぐもの」というのが、氏の説明です。しかも、この説明は日本の人たちのために作ったと言っています。技術や手段、方法論の話に終始しがちな日本人のメンタリティを理解しているのでしょうか。もちろん、マイケル・ハマーの時代には存在しなかった、スマホやAI、クラウドなどの新しいITが、新しいビジネスモデルを生み、ビジネスの可能性を広げていることも確かでしょう。この様にして生まれる新しいビジネススタイルや組織形態を「DX」と呼ぶのは分り易いと思います。オードリー・タン氏が言うように、そこで主役になるのは「人」であり、「人と人のつながり」なのでしょう。

SNSの登場によって、戦争のあり様も変わりました。私たちはウクライナで起きていることをリアルタイムで見ること、知ることができます。誰でもスマホがあれば、世界中に発信できるのです。その一方で、プロパガンダやフェイクが溢れ、情報統制が厳しさを増し、さながら情報戦争のようです。今更ながら、次の言葉を噛み締めるばかりです。

「テクノロジーは『私たちが誰か』を変えるのではなく、私たちの良いところも悪いところも『拡大』する。」(ティム・クック、米アップル最高経営責任者)

 

本コラムでは、以下の文献を参考にさせていただきました。

「なぜデジタル政府は失敗し続けるのか 」 日経コンピュータ (日経BP) 2021

 

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