浅間山
前回の気づきのヒントでは、本年が、コロナパンデミックを乗り越える希望の年になるように、期待を込めてお話ししました。そんな矢先、残念なことに、ロシアによるウクライナ軍事侵攻が始まってしまいました。私たちは、コロナパンデミックに加えて、この不条理な戦争という世界史的災禍を目の当たりにしているのです。私たちの想像を超えた現実がそこにあります。ウクライナに、一日も早く平和な日々が訪れることを願ってやみません。
最近よく「デジタル」という言葉を耳にします。テクノロジーの世界ではもちろんですが、デジタル庁、デジタル田園都市構想など、政治の世界でも同様です。ついこの間まではIT(情報技術)という言葉が使われていたと思うのですが、新しい言葉で消化不良を起こさなければ良いのですが・・・
また、デジタルトランスフォーメーション(以下DXと略す)という言葉もよく聞きます。デラックスの「DX」ではないのですが、この「DX」という言葉、どうも言葉が独り歩きしていて、分りにくいと思うのは私だけでしょうか。「DX」は、2004年にスウェーデンの大学教授エリック・ストルターマン氏が提唱したもので、「ITの浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させる。」との仮説に基づいていると言われています。こうした定義のもとに、多くのベンダーや組織が様々な意味付けを与えています。また、使われる文脈によって多様な意味を持っていることも、言葉の曖昧さを増しているのかもしれません。
コロナパンデミックで明らかになった我が国のデジタル化の遅れは、「デジタル敗戦」とも言われ、デジタル庁発足の契機にもなりました。技術立国日本と言われ、「ものづくり」の強みを謳歌している一方で、ここに来てデジタル化の後進性が顕在化しています。経済産業省が2018年に策定した「DX推進ガイドライン」では、こうした現状を変革、克服するという文脈でも「DX」が使われているようです。
1993年にマイケル・ハマーとジェイムズ・チャンピーが提唱したBPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)は、一世を風靡しました。「コスト、品質、サービス、スピードなどのパフォーマンスを劇的に改善するために、ビジネス・プロセスを抜本的にデザインし直すこと」、そしてそのためにITを活用するというのです。ゼロベースからビジネス・プロセスをリデザインするという、白紙アプローチも提唱されました。ところが、我が国ではBPRを伴わない(あるいは不十分な)IT投資が数多く行われ、結果的に非効率なビジネス・プロセスが固定化されてしまいました。本来、手段であるべき「IT化」自体が目的化されてしまったのです。今さらBPR?と言われそうですが、行政機関や企業において、このBPRを担える人材、すなわちビジネス・プロセス、サービス・プロセスをリデザインできる人材が決定的に不足していることも、今日の状況を招いてしまった大きな原因のように思えるのです。デジタル人材の不足、IT人材の不足はよく言われますが、ビジネス・プロセスの変革や、現場が求める新しい行政サービスを創出できる人材やその理解者、促進者を増やすことが、デジタル化のための喫緊の課題なのです。
「IT」にしても「デジタル」にしても、目的を実現するための手段であり、方法論なのです。その目的は何か、誰のためにどんな価値を生み出すのか、また、それによってどんな課題を解決するのか、そのことが大切であり、そこが知恵の出し所だと思うのです。そのことにおいては、「IT化」も「DX」も本質は変わらないというのが私の考えです。「DX」も、それ自体が目的化された時点で、もはやそれは単なる「IT化」と何ら変わりません。我が国では、DXプロジェクトの8割以上が失敗していると言われていますが、本来の目的を見失い、手段や方法論の議論に終始してしまっていることも、要因の一つかもしれません。
台湾のデジタル担当大臣であるオードリー・タン氏は、「IT」と「デジタル」は全く別のものと言っています。「IT(Information Technology)」とは機械と機械をつなぐものであり、「デジタル(Digital)とは人と人をつなぐもの」というのが、氏の説明です。しかも、この説明は日本の人たちのために作ったと言っています。技術や手段、方法論の話に終始しがちな日本人のメンタリティを理解しているのでしょうか。もちろん、マイケル・ハマーの時代には存在しなかった、スマホやAI、クラウドなどの新しいITが、新しいビジネスモデルを生み、ビジネスの可能性を広げていることも確かでしょう。この様にして生まれる新しいビジネススタイルや組織形態を「DX」と呼ぶのは分り易いと思います。オードリー・タン氏が言うように、そこで主役になるのは「人」であり、「人と人のつながり」なのでしょう。
SNSの登場によって、戦争のあり様も変わりました。私たちはウクライナで起きていることをリアルタイムで見ること、知ることができます。誰でもスマホがあれば、世界中に発信できるのです。その一方で、プロパガンダやフェイクが溢れ、情報統制が厳しさを増し、さながら情報戦争のようです。今更ながら、次の言葉を噛み締めるばかりです。
「テクノロジーは『私たちが誰か』を変えるのではなく、私たちの良いところも悪いところも『拡大』する。」(ティム・クック、米アップル最高経営責任者)
本コラムでは、以下の文献を参考にさせていただきました。
「なぜデジタル政府は失敗し続けるのか 」 日経コンピュータ (日経BP) 2021
別所温泉北向き観音
2020年に始まった新型コロナパンデミックは、昨年も世界を翻弄し続けました。前回、「新型コロナウィルスを超えて」を掲載した時(2020年6月)の米国の死者は10万人強でしたが、現在では90万人を超えています。また、全世界での感染者は4億人を超え、100年前のスペイン風邪の感染者5億人に迫る勢いです。(2021年2月時点 米ジョンズ・ホプキンス大集計)今、私たちは世界史的災禍を目の当たりにしているのです。
日本でも、ワクチン接種が進んだこともあって、一時は落ち着いていましたが、年明け早々から第六波に見舞われ、オミクロン株が猛威を振るっています。オミクロン株は、感染力が格段に上回っており、医療や介護の現場、さらには多くの公共サービスにも影響を及ぼしています。そのため、感染拡大の防止と社会インフラを止めない対策との、手探りの試行錯誤が続いています。
今年でコロナ禍も3年目を迎えます。スペイン風邪のパンデミックが収束するまでには3年かかったと言われていますが、そのころは、ウィルスの実体も分からず、もちろんワクチンや治療薬もありませんでした。今日では、検査やワクチンなどもありますし、しばらくすると経口治療薬もできます。新しい変異ウィルスの出現が希望の光を遮ることもありますが、いずれ人々の努力と英知によって、この難局を乗り越える日が訪れることは間違いありません。
今回のパンデミックが教えている教訓のひとつに、正解が見えない問題に対する取り組み方があると思います。誰にも正解は分からない問題。その道の専門家でさえ、問題の影響が多岐にわたっているために、問題の全体像を捉えることは難しい。また、一時は正解だと思われたことが通用しなくなって、新しい解が必要になることもあります。こうした問題や課題に対して、各国そして各組織が様々な試行錯誤を行っているのが現状なのでしょう。
では、私達はどうしたら良いのでしょうか?ひとつには、私達、そして社会全体が良い試行錯誤のやり方を学ぶことではないかと思っています。正解が分からない時には、まずはそのことを社会全体で受け止めることです。その上で、対応策の知恵を出し合い、建設的な議論を行う。そして、まずやってみるのです。その結果を見てさらに周りの知恵を集めて、新しい手を打つ。これらのサイクルをスピード感を持って行うことです。もちろん、説明をしっかり行うことも大切です。
困ったときには、誰でも正解があると思いたいものです。また、無意識に正解があると思ってしまうこともあります。正解を求めようとすることは決して悪いことではないのですが、こうしたことが、残念ながら批判のための批判や建設的でない言動、「無いものねだり」などを生んでいる様に思われてなりません。一見、試行錯誤は無駄な回り道の様に見えるかもしれませんが、そうした試行錯誤を行うことで、正解に近づくことができると思うのです。正解は後になってからしか分からないのですから。
これからの時代、正解が見えない問題はますます増えていくことでしょう。過去の経験から学ぶことが大切なのは言うまでもありませんが、過去の経験や知識が通用しない問題も増えてくることでしょう。時代の変化に伴って、新しい問題解決のアプローチ、課題への取り組み方が求められていると思うのです。
コロナ禍を通して分かってきた我が国の課題、弱みなどは、コロナ禍が終わっても解決する訳ではありません。例えば、デジタル化の遅れやカーボンニュートラルなど、いずれも待ったなしの課題です。課題の解決に向けて、スピード感を持った試行錯誤を社会全体で推し進めること、そのことが求められているのではないでしょうか。楽な道ではないかもしれませんが、その先に、希望が見えてくると思うのです。
中国武漢に端を発した新型コロナウィルスによるパンデミック(世界的大流行)は、あっという間に世界中に広がり、その景色を一変させました。アメリカでの死者は10万人を超え、第一次世界大戦での戦死者(11万7千人)に迫る勢いです。世界各地で都市封鎖が行われ、猛威をふるっています。ここに来て、ヨーロッパでも感染のピークを越えた国々も出始めていますが、制限解除による経済活動の再開と感染防止との両面での難しい舵取りが始まっています。
日本でも、全都道府県に拡大されていた緊急事態宣言が全て解除され、感染の第二波を警戒しながら、少しずつ社会活動を再開する新しいフェーズに入りました。一時は医療崩壊の危険が叫ばれ、オーバーシュートの一歩手前までいきましたが、どうにか持ちこたえることができそうです。欧米のような都市封鎖(ロックダウン)を行わずに感染を封じ込められたことは、外出自粛や営業自粛など、国民一人一人の努力、頑張りによることは間違いありません。また、今も医療現場を支えている医療関係者の献身的な頑張りは勿論のこと、介護の現場を始め、生活必需品の生産や物流などの社会インフラを支える皆さんの努力があったことを忘れる訳にはいきません。
こうした一方で、PCR検査体制の不備や医療現場でのマスク、防護服などの不足が顕在化しました。なかなか増えないPCR検査数には、正直ヤキモキしました。既に全自動の検査機が国内で作られているのに、何故か国内では使われていない、という報道には驚かされました。また、国の感染対策のスピード感の無さや、現場を軽視する硬直化した組織の体質など、日本社会の弱点が見えてきたことも事実です。また、IT技術の利用がまだまだ遅れていることも、明らかになってきました。これらの点については、批判のための批判ではなく、どこに問題があるのか検証し、改善すべき点は速やかに改善して、第二波、第三波の到来に備えることが必要です。
100年前に発生したスペイン風邪では、世界人口の4分の1、5億人もの人々が感染したと言われています。ちょうど第一次世界大戦の最中で、参戦国では情報統制が行われていたために、被害をより大きくしたと言われています。100年前には、現在のようにウィルスの特定やPCR検査などもありませんでした。また、日本でも、感染防止対策はほとんど行われず、1918年8月から1921年7月までの三年に亘って、合計三回の感染流行があり、合わせて2,080万人が感染し、39万人近い犠牲者を出しました。(内務省衛生局のデータより)当時の人口が5,500万人ですから、約半数が感染したことになります。
第一次世界大戦の終結に際して行われたパリ講和会議も、そうした感染の中で行われました。敗戦国に多額の賠償額を求めるフランスやイギリスに対して、反対したのはアメリカ大統領のウッドロウ・ウィルソンです。ところが、会議の途中でスペイン風邪に罹ってしまい、結局ドイツに莫大な賠償額が課されてしまいます。その事が、後のナチスの台頭を許し、第二次世界大戦を引き起こしたことは、ご存知のとおりです。
このように、パンデミックはその後の世界に様々な影響を与え、想定できない変化をもたらすことも歴史が教えています。今回のパンデミックでも、WHOの対応や香港の自治をめぐって、米中の対立がさらに激化しており、コロナ以後の新たな火種になりそうです。
新型コロナウィルスではまだ分かっていないことも多く、治療薬やワクチンができるまでは、気を緩めることはできません。その一方で、新しい価値観やスタイルが生み出されようとしていることも確かです。
テレワークも、コロナ以前は掛け声先行のきらいもありましたが、感染リスクを減らす新しいワークスタイルとして定着しそうです。もちろん、全ての労働がテレワークで、という訳にはいきませんが、それぞれの現場にあった、新しいワークスタイルや、コミュニケーションのあり方など、模索が始まっています。都市部への人口集中のリスクも、今回の教訓として挙げられると思います。働く場所を選ばないワーカーの地方への移住や、地方の良さを生かしたワーキングプレイスの提供など、掛け声だけではない地方創生が現実味を帯びてきそうです。
また、教育の現場でも、新しい学びのスタイルへの挑戦が始まっています。本来であれば、この四月から小学校でプログラミング教育がスタートしているはずでした。今回のコロナ感染を契機に、オンライン授業などのITの活用も加速するでしょう。さらに、ITを活用することで、効率を上げながら、一方でよりきめ細かな教育、主体的な学びを重視した新しい取り組みが行われることを期待したいと思います。
元首相補佐官の岡本行夫氏が、新型コロナウィルスで亡くなったというニュースは衝撃的でした。私たちは、それぞれの立場で今まで以上に知恵と勇気を出し、変化への対応力を身につけて、コロナ以後の新しい価値観やスタイルを生み出していくことが求められていると思うのです。
城下駅まで復旧した別所線
別所温泉駅の「折り紙アート」
台風19号は、長野県をはじめ、各地に甚大な被害をもたらしました。この場をお借りして、被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
長野県で特に被害が大きかったのは、千曲川と千曲川に流れ込む数多くの支流の流域です。山間地が多い長野県ですので、山あいの支流や沢などでも、多くの被害が発生しました。千曲川の決壊は、過去に何度となく繰り返されていたとはいえ、未だに自然の力の前には人の力が及ばないことを思い知らされます。
ここ上田でも、大きな被害がありました。雨が少なく、ため池が多いことで有名な塩田平でも、尋常ではない雨が降りました。千曲川が一部越水し、堤防の損傷によって別所線の赤い鉄橋が落ちてしまったことは、ご存じのとおりです。このことは、とてもショッキングな出来事でした。鉄橋の近くに架かる上田橋では、たくさんの人が、茫然と鉄橋を見つめたり、カメラを向けていました。別所線は上田と別所温泉を結んでいますが、その途中には大学や短大もあり、上田への通勤、通学の足としても利用されていますので、その影響はとても大きいのです。
私が研修を行っている会社でも、何名かの方が今回の災害で被害にあわれました。千曲川の決壊現場の近くで被害にあわれた方もいらっしゃいました。災害があって数日後、会社には募金箱が用意されたとのことです。しかも、その募金箱を用意したのは、長年働いているパートさんで、誰に言われたのでもなく、自発的に用意されたのだそうです。募金箱には多くの募金が集まり、外国から働きに来ている方も、慎ましい生活費の中から募金をしてくれたそうです。このことは、私が研修でお邪魔した折にお聞きしたのですが、何か温かいものを感じました。こうして集まった募金は、被害にあわれた方への何よりの励ましであり、贈り物だと思います。
また、今回の災害でも、多くのボランティアの皆さんが活躍されています。ボランティアの皆さんの力は復興の原動力として、被災された方々をはじめ、多くの皆さんから感謝されています。善意の人の力や温かさを感じずにはおられません。災害は多くの悲しみと苦難をもたらしますが、一方で私たちがとかく忘れがちな善意の心や人の温かさを呼び覚ましてくれます。
別所線も、城下駅(上田駅の次の駅)から下之郷駅までが復旧し、城下駅から別所温泉駅までつながりました。また、本数も災害前の8割にまで回復しています。城下駅から上田駅までは代行バスですが、それでも以前に比べると随分便利になりました。赤い鉄橋の復旧にはまだ時間がかかりそうですが、各方面からの支援も集まり始めています。一日も早く復旧して、また上田駅の達郎アバターの出発チャイム*を聞くことができることを願うばかりです。
*:「サマーウォーズ」主題歌「僕らの夏の夢」 作詞・作曲 山下達郎
上田城の「六花紋」
上田城城門前の「六花紋」。ちょうど「真田幸村」がいて、ポーズをとってくれました。感謝です。現代の幸村さん、サービス精神旺盛です。ちなみに、「六花紋」は上田市のシンボルマークです。
最近、うれしいニュースが二つありました。その一つは、F1レースでのホンダの活躍、そしてもうひとつが「はやぶさ2」の成功です。もっとも、「はやぶさ2」には「リュウグウ」からその破片を持ち帰るという大切なミッションが残っていますから、成功と言うのは少し気の早い話かもしれません。
ホンダがF1に復帰したのは4年前の2015年、名門マクラーレンとタッグを組んでの復帰でした。「気づきのヒント」でも、ホンダの活躍を期待して、「へこたれない心」と題してホンダの生みの親、本田宗一郎さんのお話しをさせていただきました。ところが、この4年間はホンダにとって、つらく厳しいものになってしまいました。成績不振によるマクラーレンとの決別、F1からの撤退もささやかれる中でのトロロッソとの再出発。でも、思うような成績はあげられませんでした。
そして今期は強豪レッドブルともタッグを組んでのチャレンジ。第9戦オーストリアGPでは、13年ぶりの優勝をはたし、第11戦ドイツGPでは、レッドブルが優勝、トロロッソも3位に入るダブル表彰台と目覚ましい活躍が続いています。まさに「へこたれない心」を地で行っているホンダです。
こうしたホンダの活躍の陰には、ホンダジェットで培った技術力があると言われています。※ 苦戦が続くなかで、F1の開発メンバーが航空部門の技術者に相談を持ち掛け、ホンダジェットのエンジン技術がF1にも使われているのです。
「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」に2度着地して、その一部を採取することに成功したことは、世界に大きな衝撃を与え、改めて日本の技術力の高さを示しました。今や宇宙はビジネスの対象ですが、同時に、国威高揚のシンボルへと返り咲こうとしています。中国が月の裏側に探査機を着陸させ、トランプ政権も月への有人着陸計画「アルテミス」を発表しています。そんな中で、2億5千万kmも離れた小惑星リュウグウに宇宙の起源を求めて長い旅をし、遠隔制御で超高精度な着地を成功させたことは、宇宙の平和利用を謳う日本らしい宇宙開発のあるべき姿と言えるのかもしれません。
これらの二つのニュースには共通点があります。それは、どちらもチームとして成功を収め、勝利を掴んだということです。どちらのチームにも、これまでの道のりには数えきれない苦難と失敗があったと思います。あきらめかけたり、心が折れそうな苦境が何度も訪れたことでしょう。そうした苦難や失敗をチームの力でひとつひとつ解決し、勝利を掴んだのです。最初から成功を約束されているプロジェクトなど一つもありませんし、プロジェクトには、苦難や失敗がつきものです。あきらめず、へこたれない心が知恵やアイディアを生み出し、苦難を克服して成功への可能性を切り開いていけるのです。はやぶさ2のプロジェクトリーダが記者会見で語っているように、チームワークがあってこそ、チーム全員が自分の持ち場で力を振り絞ってこそ成功を手に入れることができるのです。
チームとして勝利すること、二つのニュースは、そのことを私たちに教えてくれているのではないでしょうか。
※ ホンダF1、13年ぶりVに生きる「ジェットの技」 2019/7/1 11:46 日本経済新聞 電子版
新しい年、2019年が始まりました。今年は「平成」が終わり、新しい元号がスタートします。本年が良い年であること、そして来たるべき時代が、良い時代であることを願わずにはいられません。
目を世界に転じると、米中貿易摩擦が激しさを増し、世界経済の減速懸念から、昨年末には株価も大きく下がりました。また、米国や欧州での自国第一主義、ポピュリズムの台頭やイギリスのEU離脱問題など、世界的に不確実性が高まっています。
米中貿易摩擦は貿易戦争とも呼ばれていますが、中国は経済問題に止まらず、さらにはハイテク分野においても米国と世界の覇権を争うようになりました。中国の台頭については以前から言われていましたが、AIや5Gなどに注力する「製造2025」や宇宙強国などの国家戦略もあり、ハイテク分野でも驚くほどのスピードで米国を脅かす存在になっているようです。ですから、米国は安全保障に係る中国のハイテク分野での覇権を許すことはないと思います。言うまでもなく、市場経済、経済のグローバル化は米国が先頭になって進めてきたものですが、世界の工場、そして巨大なマーケットでもある中国は、そのグローバル化を追い風に発展を遂げ、一方で、その米国が保護主義、自国第一主義へと変質したことは皮肉な現実です。
中国の産軍共同体制は、米国を手本にしたものと言われています。米国のIT産業、ハイテク産業の発展は、DOD(国防総省)やNASAの存在が大きく関わってきました。そうした米国の産軍連携システムは、ハイテク強国へと急ぐ中国の恰好の手本になったのかもしれません。米国のIT産業やGAFA※1などが自然発生したベンチャー企業であるのに対して、中国ではハイテク産業と国家戦略との結びつきを強く感じざるを得ません。そのことが、知的財産権の侵害や技術移転の強要などもあって、中国のハイテク技術に対する不信感に拍車をかけているのでしょう。
ここに来て、中国経済の変調が報道されています。米中貿易摩擦以前から、株式担保融資(EPF)※2などの過剰債務問題や民営企業のビジネスマインドの悪化などが指摘されていましたが、さらに米国の経済制裁が追い打ちをかけているのです。いずれにしても、米中対立は予断を許さない状況がしばらく続くでしょう。一方、経済のグローバル化によって、米中をはじめとする各国の結びつきは複雑で強いものになっています。ですから、一度グローバル化に向かった経済を保護主義に戻そうとすることは、時計の針を逆に回すようなもので、世界経済にもたらす影響は計り知れません。中国は勿論ですが、米国自身もその影響と無縁ではいられないはずです。
現在、日本においては少子高齢化が大きな問題となっていますが、中国においても出生率が伸びていません。「一人っ子政策」が終わったにもかかわらずです。このままいくと、遠からず中国でも少子高齢化が大きな問題になり、今の勢いにも陰りが見えてくるのかもしれません。その時は、少子高齢化のフロントランナーである日本の知見を活かす機会が生まれることでしょう。
2019年、世界では私たちの想像を超えるような事が起きるでしょう。長く続いた米国一強体制から、中国や欧州、ロシアなどを含めた多極化という新しい国際秩序を模索する転換期であるのかもしれません。また、朝鮮半島でのパワーバランスにも変化の兆しが見えています。こうした国際情勢の変化、特に中国経済の変調は、日本経済に、そして地方の経済にも影響を与え始めています。変化の時代は、ピンチであると同時にチャンスでもあります。足元では、IOTやAIなどの新しいテクノロジーが多くのチャンスを生み出しています。今の時代こそ、目先の事象だけに眼を奪われず、チャンスを生かし知恵を生み出す人間力が求められていると思うのです。人間の可能性が新しい時代を切り開くのです。複雑な国際問題も、最後には人間の力がものを言うのかもしれません。「人間ファースト」こそ、その合言葉にふさわしいのではないでしょうか。
※1 GAFA・・・グーグル(Google)、アップル(Apple)、フェースブック(Facebook)、アマゾン(Amazon)の4社のこと。
※2 株式担保融資(EPF)・・・証券会社や銀行が企業の株式を担保に行う融資。国際決算銀行(BIS)によれば、中国のEPFは2018年10月末で6.3兆元(約101兆円)。
上田城の夜桜
上田城の夜桜
信州上田もすっかり春めいてきました。このところ初夏を思わせる暖かさで、桜の開花も早まりそうです。今年も、「上田城千本桜まつり」が4月7日(土)~4月22日(日)に行われます。上田城の夜桜もまた格別です。
今回も前回に続いて、「働き方改革」について考えてみたいと思います。前回は、「働き方改革」をマクロ的に捉えたお話しでしたが、職場での「働き方」を取り巻く状況は実に様々です。個別のケースを見てみると、また違った景色が見えてくるのかもしれません。
もしもあなたがマネジャーで、部下に残業を頼むとしたら、仕事ができる社員とそうでない社員のどちらに頼むでしょうか?多くの方が、仕事ができる人に頼みたいと思うのではないでしょうか。また、やる気のある人とそうでない人はどうでしょう。そんなこともあって、職場では、残業はやる気のある社員や有能な社員など、特定の社員に偏ってしまいます。このような偏りが行き過ぎると、長時間残業や過労死など不幸な事態を招きかねません。
また、マネジャーが率先して残業している職場もあるでしょう。上司が帰らないので、仕事が終わっても帰れないという若い社員も多いのかもしれません。マネジャーが仕事を抱え込んでしまっているのかもしれませんが、この場合、マネジャーが本来行うべき仕事が出来ているのか疑問です。マネジャーが忙しくしていると、職場に目が行き届かなくなり、様々な課題が手つかずになってしまいます。また、「働き方改革」を単に残業を減らすことと考えているマネジャーも問題です。マネジャーから「早く帰れ」と言われれば、喜んで仕事の手を抜いてしまう社員がいるかもしれません。その結果、誰かの残業を増やすことにもなりかねません。いずれの場合にも、マネジャーがどれだけ本気で残業を減らそうとしているか、その意思と力量が問われているのです。
一律の残業規制は効果もあるのでしょうが、もちろんそれで全ての問題が解決する訳ではありません。仕事量の適正化や非効率な業務の見直しなど、残業を減らす具体的な取り組みが行われなければ、仕事を家に持ち帰ったり、サービス残業のような目に見えない残業を増やすことにもつながりかねません。また、深刻な人手不足の職場では、仕事がまわらずに、会社自体の存続も危ぶまれることになってしまいます。
Business Insider Japanが行ったアンケート調査*によれば、職場やあなたの「働き方改革」への取り組みについては、「かけ声はあるが、実態は変わっていない」が34%と最も多く、「取り組みは特にない」が23%で続いています。また、「一切関係ない」との答えも1割近くあり、職場での取り組みはまだまだのようです。
職場にはそれぞれ固有の課題があります。今回のテーマである「働き方改革」を巡っても、職場にある様々な課題が浮き彫りになってくることでしょう。そうした職場の現実や課題をマネジャーが正しく認識して、改善のために知恵を絞ることが必要なのではないでしょうか。そうした課題を解決することはマネジャーの本来の役割なのですが、どうも問題の原因の多くがマネジャー自身に起因しているのが現実のようです。マネジャーが本気になれば、社員の知恵や力も集まってきます。マネジャーの気づきが、職場の「働き方」を改革して、より生産的な働き方、マネジャーと社員のより生産的な関係を生み出すことにつながると思うのです。
「勢いのあるところ、必ず必死のひとりがいる。」相田みつを
*「「終わるわけない仕事量」」若手488人が挙げる残業減らない理由トップ5 :「上司は仕事以外の人生がない」との声も Business Insider Japan 2018/3/16
別所温泉駅イルミネーション
別所温泉駅イルミネーション
信州の厳しい冬もようやく終わりが見え、日差しのぬくもりに春の訪れを感じます。今年の寒さは例年になく厳しかったためか、春の訪れが待ち遠しく思われる今日この頃です。
このところ、「働き方改革」について、様々な議論が行われています。長時間残業や過労死といった不幸なできごとがそのきっかけなのですが、一方で、その背景には日本の労働生産性の低さもあるようです。そこで、今回と次回の2回にわたって、この「働き方改革」について考えてみたいと思います。
OECD(経済協力開発機構)のデータによると、日本の時間当たりの労働生産性はOECD加盟35カ国中20位で、主要先進7カ国では最下位になっています。また、かつては世界一を誇った製造業の労働生産性(就業者一人当たり)も、主要29カ国中14位とずいぶん様変わりしています。*1
一方、米国の調査会社ギャロップが行った、各国の企業を対象にした従業員の意識調査によると、日本では「熱意あふれる社員」は6%、「やる気のない社員」は70%で、調査した139カ国中132位になっています。ちなみに、米国では、「熱意あふれる社員」は32%、日本の5倍強です。*2かつて、勤勉で会社への帰属意識が強いと言われていたのが嘘の様です。こうした働く意識の変化も、先にお話しした労働生産性に影響を与えているのかもしれません。
何が働く人のやる気を削いでしまったのか、その理由は様々なのでしょうが、かつては、日本的経営が世界の手本になった時代もありました。その頃は何事も右肩あがりで、将来への希望や期待が感じられたものです。その後、バブル崩壊や平成の長いデフレを経て今に至るのですが、そんな時代の変化も、社員の意識を変える一因になっているのかもしれません。
また、この間に、労働の姿も様変わりしました。かつて、国内の安価な労働力に支えられた工場の多くは、安価な労働力を求めてアジア諸国へと移っていき、国内には設計や企画部門などが残りました。作れば作るだけ売れた時代は過去の話。売るためは商品に付加価値を付けたり、独創的な商品を開発したりと様々な知恵を出すことが欠かせなくなっています。そのために、労働の主体が労働集約型から、知識労働へと変化しているのです。もちろん、折からの情報化やデジタル革命の進展なども、こうした変化に一層拍車をかけています。
かつて、世界の手本になった日本的経営、それはあくまでも「モノづくり」のマネジメントです。「上意下達の指示」、「長時間の労働(を美徳とする文化)」や「年功序列による昇進」など、「受身的なまじめさ」を持った日本人のメンタリティには合っていたのかもしれません。ところが、あまりにも成功体験が強かったせいか、今でもそうした管理スタイルが少なくありません。そうした「過去の成功モデル」が、知識労働や今の働く人の意識とミスマッチを起こしているように思うのです。
今や、知識労働にふさわしいマネジメントが求められているのです。かつて、米国も長年苦しんできましたが、マネジャーの意識の変化がその再生に役立ったと言われています。マネジャーが部下といっしょに成果を出すこと、部下の成長を支援することで、「熱意あふれる社員」が増え、生産性も上がったのです。マネジャーの意識が変わったことが大きかったのでしょう。ところが、日本においては、未だ知識労働のマネジメントに舵を切れていないのが現状ではないでしょうか。
労働も「量」ではなくて「質」が問われる時代です。生産性向上を単に「時間やコストの削減」と捉えていては問題は解決しません。知識労働では、知恵を生み出すことが求められます。どうしたら知恵を、そして顧客の望む価値を効率良く生み出すことができるのかが問われているのです。そのために、マネジャーやリーダーの役割はどうあるべきか、また、働く人はどの様に仕事と取り組んだら良いのか、これからの時代の新しいワークスタイルを創出することもまた、「働き方改革」の大切なテーマであると思うのです。そのことを職場のマネジャーやリーダー、そして働く人が考える良い機会なのではないでしょうか。
*1 「労働生産性の国際比較 2017年版」 日本生産性本部
*2 「熱意ある社員 6%のみ 日本132位、米ギャラップ調査」 2017/5/26 日本経済新聞 電子版
別所温泉北向観音
別所温泉北向観音
新しい年、2018年。初詣に別所温泉の北向き観音に行ってきました。以前お参りした時は、別所温泉駅のあたりからずっと人が並んでいたのですが、今回は、北向き観音の手前で少し並んだだけで、お参りすることができました。ちょっと寂しい気もしますが…今年一年、良い年にしたいものです。
新しい年を迎えるたびに、世の中が変わるスピードが速くなっているように感じます。ネットやスマホはもはや当たり前ですし、AI(人工知能)の進歩は、IT(情報技術)や自動車などと結びついて、急速に人と技術の距離を縮めています。AIとはいっても、まだまだ「AIもどき」が多いのも事実なのですが、人間の得意技である「学習する能力」を身に付けて、活用の場をさらに広げていくことでしょう。人とAIの距離が縮まるにつれて、様々な議論が巻き起こりました。どんな仕事がAIにとって代わられるのかなど、気の早い議論も週刊誌を賑わしました。AIの進歩は、改めて「人間とは」という問いかけを発しているようです。
年末に、海洋冒険家白石康次郎さんの講演を聞く機会がありました。白石康次郎さんといえば、世界一過酷な世界一周ヨットレース「ヴァンデ・グローブ」に、アジア人として初めて出場したことでも有名です。今回は、残念ながらレース途中でメインマストが折れてしまい、途中棄権となりましたが、4年後の再出場を目指しているとのことでした。講演会のテーマは「決して折れない心」。白石さんがヨットマンとして、どのように夢を実現したのか、その生き方について話されました。幾度もの失敗や挫折を乗り越え、何度も涙を流してきた白石さん。そんな逆境から逃げずに闘ったことで、今の白石さんがあるのでしょう。本当にいい顔をされていました。
白石さんが大学生と一緒に作った「マイナスをプラスに変える行動哲学」という本があります。現役の大学生と白石さんが、5人のトップアスリートとのインタビューを通じて、その行動を支える哲学に迫るというものです。トップアスリートといえば、天賦の才能を与えられた一握りのエリートと考えがちですが、彼らも生身の人間。怪我もすれば悩みもします。そんな逆境のなかで彼らを支え、逆境を克服できた思いや哲学、そんなトップアスリートの生の声には、私たちにも気づかされることがたくさんあります。
また、大学生の持つ漠然とした不安や本音なども、この本から伝わってきます。何でも手に入る様で、実は本当にやりたい事や目指すものが見つけにくい今の世の中。失敗を恐れずにチャレンジしよう、ときれい事を言われても、いざ失敗すれば、打って変わって厳しい叱責。これでは、失敗を恐れて、チャレンジすることに二の足を踏む若者が増えるばかりです。白石さんは、そんな失敗に寛容でない社会を作ったのは今の大人達、とかなり手厳しい。
終身雇用が崩れて久しい今日、先日の新聞報道によれば、「自己啓発」市場は9,000億円に拡大し、平成元年に比較して3倍に伸びているそうです。大企業の経営破綻やリストラなど、将来の不安がそんな動きを後押ししているのでしょう。もはや、自分の成長は自分で責任を持つ時代なのかもしれません。
人は誰でもはじめから完全ではありません。失敗や苦難を経験して、それらを乗り越えることで成長していくのです。社会に出たばかりの若者たちには失敗する権利があるのです。若者たちにチャレンジすることをためらわせてはいけません。「失敗を人のせいにしない」、「自分に配られたカードで勝負するしかない」という白石さんの言葉は、人間だけに許された、「折れない心」を育てる上で欠かせない大切なことを示していると思うのです。
「もし、過ちを犯す自由がないのならば、自由を持つ価値はない。」
-マハトマ・ガンジー-
以下の文献を参考にさせていただきました。
「マイナスをプラスに変える行動哲学」 白石康次郎著 (生産性出版) 2013
上田城の紅葉(夜景)
上田城の紅葉(夜景)
紅葉を楽しんでいたのもつかの間、もう師走です。今年も残り少なくなり、信州上田にも、いよいよ厳しい寒さがやってきます。
前回は、葛飾北斎についてお話ししましたが、世の中には、年齢に関わらず活躍されている方がたくさんいらっしゃいます。今年、邦訳が出版された「謙虚なコンサルティング」の著者エドガー・H・シャイン先生(以下シャイン先生)もその一人です。
シャイン先生はマサチューセッツ工科大学(MIT)の名誉教授で、1928年生まれといいますから、ちょうど90歳になられたところでしょうか。シャイン先生は長年にわたって、組織文化や組織開発などのコンサルティングを行っていますが、本書で、研究や教育そしてコンサルテーションを行う中で発見したことや考えたことを「謙虚なコンサルティング」というコンセプトとしてまとめています。この短いコラムでその全てをお話することはできませんが、そのさわりを紹介しましょう。
シャイン先生は今まで長年使われてきたコンサルティングのパターンには、アメリカの文化が大きく影響していると言っています。シャイン先生は、「それは「自分が話す」ことを理想だとする文化であり、ひいては支援やコンサルティングを行う場合も、まず「診断」し、次いで「助言の名のもとに、自分が話す」というスタイルが、コンサルティングのお決まりのパターンになったのである。」と言っています。コンサルタントは、クライアントが本当に解決したいと思っている問題ではなくて、診断と分析によって作られた問題について、その解決策を雄弁に語ります。ところが、その問題は、クライアントが本当に困っている問題とは違うことが多いと言うのです。
こうしたコンサルタントのパターンは、解き方がすでに分かっている技術的問題には効果を上げてきたことも事実です。ところが、今や組織が直面している課題は、より複雑になり多様化しています。その中には、解決に必要な知識や技術がよく分からない「適用を要する課題」と呼ばれる問題も存在しているのです。「適用を要する課題」はハーバード・ケネディスクールのロナルド・A・ハイフェッツ教授が提唱しているものですが、その課題に取り組むためには、「クライアント自身が学習を続けて、ものの見方、世界のとらえ方を変えていく(適用していく)必要がある」とシャイン先生は言っています。「適用を要する課題」では、コンサルタントがいくら組織を「診断」しても、問題の本質をつかむことは難しいものですし、今までのパターンは通用しないのです。それらを解決するためには、今までのパターンとは一線を画した、新しい支援のアプローチが求められるのです。
「謙虚なコンサルティング」では、シャイン先生がこれまでに経験された実際の問題について、「適用を要する課題」に対してコンサルタントがどのように振る舞うことが求められるのかが示されています。シャイン先生は、主役はあくまでもクライアントであり、コンサルタントはクライアントが気づくことに集中することが大切だ、と言っています。「「問いかけ」や「聞く姿勢」によって、クライアントは自分自身にとって本当に気がかりなことや、これまで目を背けていた大切なことに気づく」のです。このことに集中することで、本当の問題、クライアントが本当に困っている問題を見つけ出すことができる、これこそがコンサルタントの役割であり、「本当の支援」だと言うのがシャイン先生の考えなのです。
シャイン先生は、このような支援の問題は、コンサルタントとクライアントとの間に限らず、管理職と部下の関係にもあてはまると言っています。ますます複雑になり多様化する問題に対して、リーダーや管理者がどうしたらよいか見当がつかないケースが増えています。本書は、コンサルタントはもちろんですが、部下の支援者でもあるリーダーや管理者がこうした難題に立ち向かうための、救いの一冊だと思うのです。
以下の文献を参考にさせていただきました。
「謙虚なコンサルティング」 エドガー・H・シャイン著 監訳 金井壽宏 (英治出版) 2017