自分づくりのきっかけは、私達の身の回りにさりげなくあるもの。ちょっとしたきっかけが、あなたの成長の扉を開いてくれるかもしれません。
自分を変える力
新しい自分との出会い
失敗できるありがたさ
へこたれない心
下積みの大切さ
自分を変える力
長い社会人生活や人生を送る中で、上司や同僚、そして家族から、自分の足りないところを気づかされることがあります。なかには、厳しい指摘もあるでしょうし、やんわりとした言葉の中に、思いが詰まっていることもあったりもします。皆さんは、そうした時にどのように反応していますか?
人から自分の足りない所を指摘されて、気持ちの良い人はいないでしょう。自信を無くして落ち込んでしまうこともあるでしょうし、「そんなことはない」と否定したり、さらには相手との人間関係が悪くなってしまうこともあるかもしれません。自分を否定されたと思って、自分を取り繕い、守ろうとしてしまうのです。相手にはそんな気持ちは無くて、良かれと思って言ってくれたのかもしれないのです。
一方で、指摘されたことを生かして、自分を高めていける人もいます。自分の足りない所を補い、一歩ずつ成長しているのです。小さな一歩でも、積み重ねて行けば、長い間には大きな違いを生むことになるのかもしれません。
このような違いはどこからくるのでしょうか。よく言われることですが、自分の足りないところに気づくことは、自分の伸びしろを知ることでもあるのです。頭では分かっていても、実際に耳の痛い話をされると、素直には受け入れられないものです。でも、そんな話こそ、「自分づくり」のための大切なメッセージや自分を変えるヒントが隠れているのかもしれません。ですから、耳の痛い話にも心のシャッターを下ろさないで、素直に耳を傾けて、相手の真意を理解しようとすることが大切なのです。
自分を変えたいと思っても、今の自分は長い年月をかけて培われてきたものですから、そう簡単には変えられないかもしれません。でも、あなたが自分の本当の姿に気づき、心から変わりたい、こうなりたい、と思うことができれば、きっと変われるのではないでしょうか。また、「なりたい自分」について、具体的な目標を持つことも大切なことです。最初からあまり欲張らないで、まずは手の届きそうな目標を立ててみることが良いかもしれません。そして、その目標に向かって一歩を踏み出してみるのです。そして、その一歩を習慣になるまでやり続けることです。例えどんなに小さなことでも、自分の努力で自分を変えることができれば、それは一生の宝物になることでしょう。人生は、「自分づくり」の旅なのです。生涯をかけて、一歩ずつ自分にあったペースで自分を磨いていけば、いつかは「なりたい自分」を手に入れることができるのです。
(2016年8月掲載)
新しい自分との出会い
新年を迎えて、今年の目標を立てた方も多いことと思います。一年の初めに目標を立てることは素晴らしいことです。もちろん、目標を立てたからといって、ものごとが目標どおりにいくわけではありません。目標の実現に向けて努力すること、知恵を出すことが大切なのはいうまでもないでしょう。目標を達成するまでのプロセスが大切なのです。そして、目標に向かって頑張った経験は間違いなくあなたにとっての宝物なのです。もし仮に目標が達成できなかったとしても、頑張った経験はあなたの宝物であることに変わりはありません。頑張ったからこそ、くやしいと思う気持ちも生まれてくるのです。頑張った経験やくやしさは、いつかきっと皆さんを励まし、助けてくれるはずです。
もしあなたが何をやってもうまく行かず、こんなはずじゃなかった、と思いながら日々を過ごしているのなら、思い切ってこの一年を「下積みの一年」と考えてみたらどうでしょう。この一年を「下積みの一年」、「自分を見つめ直す一年」と決めるのです。今の時代、「下積み」という言葉はあまり聞かれなくなりましたが、そんなこともあってか、自分を見つめ直す機会が減っているのかもしれません。人の一生には良い時もあれば、そうでない時もあるものです。あきらめの中で今のままの生活を続けていくのではなく、もう一度自分にチャンスを与えてみたらどうでしょう。前に進むことだけが目標ではありません。一度立ち止まってじっくり自分と向き合ってみる、そんな時間も人生には必要なのかもしれません。
誰でも、自分のことはよく分かっているようで、実はあまり分かっていないものです。自分と向き合うことは、時としてかなり勇気のいることですが、素直にありのままの自分を知ろうとすることで、今まで知らなかった自分に出会えるかもしれません。その上で自分はどうなりたいのか、どう変わりたいのか、目標を立ててみたらどうでしょう。自分が変われば、まわりの景色も今までとは違って見えてくるでしょうし、そのことが、さらに新しい一歩を踏み出すきっかけになるのかもしれません。
私は、目標を達成することはもちろん大切ですが、それ以上に目標を達成できる自分になること、自分を変えることの方が、長い人生において大きな意味を持っていると思っています。たとえどんなに小さな変化でも、自分が変わったと思えることは、あなたに本当の自信を与え、心を強くしてくれると思うのです。
私も60才を過ぎて、あんなに長いと思っていた人生が、思っていたほど長くはないことを実感しています。この一年、一日一日を大切に、新しい自分との出会いの旅を続けていきたいと思っています。
(2016年1月掲載)
失敗できるありがたさ
前回は、ホンダ生みの親、本田宗一郎さんの教えについてお話ししました。本田さんは数多くの偉業を成し遂げましたが、そうした偉業のひとつひとつは、数えきれない程の失敗に支えられているのです。本田さんの人生は失敗から学び続けることの大切さを教えてくれます。
私たちは、頭では失敗の大切さや失敗から学ぶことを分かっていても、実際に失敗に直面すると、つい失敗を他人のせいにしたり、失敗を認めたがらなかったりするものです。また、失敗を避けようとして、新しいことに取り組むことをためらってしまうこともあります。どんなに小さなことでも、初めてやることはうまくいかないものです。もちろん、誰だって失敗はしたくありませんが、失敗を恐れていては、何ごとも始められないのです。
失敗すると、まわりから何を言われるか分かったものではありません。まわりの目を気にするあまり、失敗の大切さや失敗から学ぶことを忘れてしまい、はじめの一歩を踏み出す勇気が持てないのかもしれません。また、失敗さえしなければ、いつかは成功できると思っている人は多いのではないでしょうか。実は、そうではないのです。失敗を恐れて何もしなければ、成功を手に入れることはできません。本田さんの様に、失敗を繰り返して、失敗することで明らかになった課題をひとつひとつクリアすることで、成功にたどり着くことができるのです。失敗を厭わないこと、失敗から学んだ経験を次に生かすことが、真に成功を望む態度であると思うのです。
今日の社会は、失敗や挫折に対する寛容さを失いつつあるように思います。世の中が成熟してきたと言えばそうなのでしょうが、一方で失敗を許す寛容さや余裕が無くなってきているのも事実なのではないでしょうか。確かに、社会が複雑になり、失敗が許されないことも増えています。私が携わっていたシステム開発なども、失敗が許されない世界です。コンピュータのプログラムに間違いがあると、システムが誤作動を起こしてしまい、今やその影響は計り知れません。そのために、何重にもチェックやテストを繰り返すのですが、そんな世界でも、人の失敗を責めることは逆効果にしかなりません。人は間違え、失敗するものです。誤りを責めれば責めるほど、隠そうとするものですし、完璧さを求めれば、どこかに無理が生じてきます。
私は、人が失敗を避け、社会が失敗に対する寛容さを失うことによって、失敗に対する感度が鈍くなり、失敗から学ぶ力が弱くなってしまうことを危惧しています。失敗が許されなくなると、ますます失敗を避け、失敗から学ぶことをやめてしまうのです。その結果、小さな失敗で済む場合でも、大きな失敗を引き起こしてしまいかねません。また、失敗を認めたがらない風土は、様々な改善や大きな失敗の予兆に気づく機会を逸してしまい、その結果、組織や社会の危機を招きかねません。
もちろん、私は失敗することを勧めている訳ではありませんし、失敗しないことに越したことはありません。要は、失敗したあとが肝心なのです。失敗はマイナスの面だけではありません。失敗から学べることはたくさんありますし、失敗してはじめて分かること、見えてくることもあるのです。人や組織は、失敗や挫折から学ぶことで成長するものです。「失敗は成功の母」という言葉もあります。「大きな成功は小さな失敗の集まり」でもあるのです。
(2015年9月掲載)
へこたれない心
私が尊敬する経営者に、ホンダの創業者、本田宗一郎さんがいます。もっとも、本田さんは経営者というより、「おやじさん」と呼ばれ、生涯、技術屋として油にまみれていた、そんなイメージが強い方です。
本田さんが本田技術研究所(現在の本田技研工業)を立ち上げたのが1946年(昭和21年)、終戦の翌年です。戦争が終わって、日本もガラリと変わってしまい、誰もが食べるのに精いっぱいだった、そんな時代です。戦争中は東海精機という会社で軍用機のエンジンやピストンリングなどを作っていたのですが、東海精機にはトヨタも出資していましたから、終戦後には、「トヨタの下請けをやらないか」という誘いもあったそうです。そんな時代ですから、とてもありがたい話だったのでしょうが、その誘いを断って、あくまでも自分の意思でものごとを進めることにこだわったのです。結局、東海精機を手放して、本田技術研究所を立ち上げるのです。ちょうど軍がストックしていた通信機用のエンジンを、自転車に付けられるように改造して売り出したところ、それが大当たり。これがいわゆる「バタバタ」で、当時の闇屋の足として、たいへん重宝がられたそうです。
本田さんといえばレース好きで有名ですが、ホンダを一躍世界的に有名にしたのが、オートバイのマン島レースです。もっとも、このレースに出場することを宣言した後、実際にマン島レースを見た時には、外国製オートバイの技術の高さに度肝を抜かれ、「とんでもない宣言をしたものだ」と後悔したのだそうです。当時の日本のオートバイは、とても世界に通用するレベルではなかったのです。けれども、そこでへこたれずに、果敢にチャレンジするのが本田さんです。
マン島のレースに勝つためには、今までのエンジンの数倍の馬力を出す必要がありました。そこで、本田さんはエンジンの回転数を上げることを目指したのです。しかも、その目標が半端じゃない。それまでのエンジンの回転数は、3000~4000回転。それを一挙に8000~10000回転まで引上げようというのです。もちろん、周りの技術者は大反対。「できる訳がない」の一点張りです。それでも、みんなで必死に頑張って、この難題をクリアしてしまいます。目標が高ければ高いほど、問題もたくさん出るものです。エンジンの回転数を上げると、ピストンリングやバルブなどの部品が悲鳴をあげ、次々に故障してしまいます。そんな問題をひとつひとつ乗り越えながら、世界と互角に戦えるオートバイを作りだしたのです。ホンダはマン島レースで優勝し、本田さんも「世界のオートバイ王」と呼ばれるようになります。
こうした本田さん達の努力が、自動車の開発、そしてマスキー法を世界で初めてクリアしたCVCCエンジンの実現につながっていくのです。マスキー法は、1970年にアメリカ議会で成立するのですが、1975年までに自動車の排気ガス中の有害成分を十分の一に減らそうというもので、ほとんどの自動車会社も、「実現は難しい」と考えていました。そんな中で、ホンダはCVCCエンジンによって、その基準をクリアするのです。本田さんの夢は、ガソリンを完全に燃焼させ、公害物質を出さない、燃費の良い完璧なエンジンを作ることでした。本田さんがマン島レースで実現した高回転エンジンは、そんな本田さんが目指すエンジンへの一歩を踏み出したものなのです。そして、その歩みが、CVCCエンジンを生み出すのです。
いつも大きな夢を追い求めた本田さん。好奇心が人一倍強く、何事にも「見たり、聞いたり、試したり」を徹底して、経験から学んでいった本田さん。失敗を厭わず、失敗の大切さ、失敗と成功は表裏一体であることを知っていた本田さん。「こわいのは失敗することではなく、失敗を恐れて何もしないことだ。」という有名な言葉もまた、そうしたご自身の体験から出てきたのでしょう。
そんな本田さんでも、いや、そんな本田さんだからこそ、何度も挫けそうになったことでしょう。そんな時に、本田さんを支えたのが、何ものにも頼らない自立心や「へこたれない心」だったのです。終戦後の焼野原で、トヨタの下請けになることを断ったのも、「大樹の下で安楽にやることを徹底的に嫌っていた」(参考文献まま)という本田さんの自立への思いから発しているのです。また、マン島レースの時のように、周囲から「できっこない」と言われると、「それならやってみようじゃないか」と、かえって火がついてしまう。そんな「へそ曲がり」なところも、不可能を可能に変える原動力だったのかもしれません。あきらめることは、いつでもできます。あきらめずにもう一歩踏ん張ってみる、そんな「へこたれない心」も、こうした様々な体験を通して養われていったのかもしれません。
「もっと良くなるはずだ」、「もう一工夫してみよう」という前向きな思いや困難な課題に立ち向かうことよりも、良く見せようとその場を取り繕い、失敗を避けて通ることが横行する昨今。本田さんのひたむきで一本筋の通った教えに、今一度耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。
久々にF1に復活したマクラーレン・ホンダ。活躍が楽しみです。
以下の文献を参考にさせていただきました。
「わが友 本田宗一郎」 井深 大 著 (ゴマブックス株式会社) 2015 (1991年刊行の復刊)
(2015年8月掲載)
下積みの大切さ
職人の世界は、すぐれた育成システムである、ということを、以前読んだことがあります。 ご存じのように、職人の世界では、長い下積み生活を強いられます。その間、本来の仕事はやらせてもらえず、一見意味のないように見える作業が与えられ、ただ師匠の仕事ぶりを見るだけ。もちろん、教えてもらうなどということはありません。
そんな、本来の仕事をやらせてもらえない、という飢餓状態が、弟子の学びの意欲につながっているというのです。師匠の背中から学ぶ、技を盗む、といった自発的に学ぶ姿勢も、このようにして育まれていったのかもしれません。
その昔、下積みは職人の世界に限らず当たり前のものでしたが、多くの職業がサラリーマン化した今日では、このような下積みは少なくなりました。理不尽な下積みが無くなることは歓迎すべきことだと思うのですが、その一方で、教えてもらうことが当たり前、といった意識や、形式化してしまった教育など、学びの意欲を弱め、自発的に学ぶ姿勢が希薄になっていることも多く見受けられます。楽をして結果を求める、といった近頃の風潮も、この様な現状に拍車をかけているのかもしれません。
学ぶ意欲や自発的に学ぶ姿勢は、自分づくりには欠かせない、大切なものです。一度身につければ、生涯あなたの味方になり、あなたの可能性を広げてくれるのです。下積みの時間と引き換えに、学びの意欲や自発的に学ぶ姿勢を無くしてしまっているとしたら、それもまた問題なのかもしれません。下積みや苦労することの大切さを見直してみることも、価値のあることなのではないでしょうか。
次の文献を参考にさせていただきました。
日本人ビジネスマン 「見せかけの勤勉」の正体 太田 肇 著 (PHP研究所)
(2014年1月掲載)