新しい自分との出会い

浅間山

浅間山(小諸からの眺め)

真田幸村像

真田幸村像(上田駅前)

 

新しい年、2016年。皆様にとって実り多い一年でありますことを、お祈り申し上げます。

いよいよ大河ドラマ「真田丸」が始まります。信州上田も「真田丸」一色です。地方の一豪族であった真田親子が、激動する戦国時代をどのように生き抜いたのか、この一年、楽しみに見たいと思っています。

新年を迎えて、今年の目標を立てた方も多いことと思います。一年の初めに目標を立てることは素晴らしいことです。もちろん、目標を立てたからといって、ものごとが目標どおりにいくわけではありません。目標の実現に向けて努力すること、知恵を出すことが大切なのはいうまでもないでしょう。目標を達成するまでのプロセスが大切なのです。そして、目標に向かって頑張った経験は間違いなくあなたにとっての宝物なのです。もし仮に目標が達成できなかったとしても、頑張った経験はあなたの宝物であることに変わりはありません。頑張ったからこそ、くやしいと思う気持ちも生まれてくるのです。頑張った経験やくやしさは、いつかきっと皆さんを励まし、助けてくれるはずです。

もしあなたが何をやってもうまく行かず、こんなはずじゃなかった、と思いながら日々を過ごしているのなら、思い切ってこの一年を「下積みの一年」と考えてみたらどうでしょう。この一年を「下積みの一年」、「自分を見つめ直す一年」と決めるのです。今の時代、「下積み」という言葉はあまり聞かれなくなりましたが、そんなこともあってか、自分を見つめ直す機会が減っているのかもしれません。人の一生には良い時もあれば、そうでない時もあるものです。あきらめの中で今のままの生活を続けていくのではなく、もう一度自分にチャンスを与えてみたらどうでしょう。前に進むことだけが目標ではありません。一度立ち止まってじっくり自分と向き合ってみる、そんな時間も人生には必要なのかもしれません。

誰でも、自分のことはよく分かっているようで、実はあまり分かっていないものです。自分と向き合うことは、時としてかなり勇気のいることですが、素直にありのままの自分を知ろうとすることで、今まで知らなかった自分に出会えるかもしれません。その上で自分はどうなりたいのか、どう変わりたいのか、目標を立ててみたらどうでしょう。自分が変われば、まわりの景色も今までとは違って見えてくるでしょうし、そのことが、さらに新しい一歩を踏み出すきっかけになるのかもしれません。

私は、目標を達成することはもちろん大切ですが、それ以上に目標を達成できる自分になること、自分を変えることの方が、長い人生において大きな意味を持っていると思っています。たとえどんなに小さな変化でも、自分が変わったと思えることは、あなたに本当の自信を与え、心を強くしてくれると思うのです。

私も60才を過ぎて、あんなに長いと思っていた人生が、思っていたほど長くはないことを実感しています。この一年、一日一日を大切に、新しい自分との出会いの旅を続けていきたいと思っています。

問題解決の心

長谷寺

長谷時(真田氏の菩提寺)
 幸隆夫妻、昌幸の墓がある。

真田氏本城跡

真田氏本城跡

信綱寺遠景

信綱寺遠景
長篠の戦いで討死した幸隆の長男信綱夫妻の墓がある。

 

先日、真田の里を巡る機会がありました。真田幸村(信繁)の父昌幸や祖父幸隆にゆかりの寺院や城跡などを散策し、歴史の重さとロマンを身近に感じることができました。いよいよ大河ドラマ「真田丸」も始まります。改めて戦国の時代に思いを馳せてみたいと思っています。

今回は、私と問題解決との出会いについてお話ししたいと思います。話は、会社に入ってソフトウェアの開発を始めた頃にさかのぼります。もう40年近く前のことですが・・・

もちろん、まだPCが生まれる前で、ソフトウェアのことなど、ほとんど知られていない時代でした。私も、訳も分からないままにそんな世界に飛びこんだのです。

ソフトウェアの開発では、不具合(バグと呼ばれています)の改修がつきものです。当時は、今のように便利な開発ツールがあるわけでもなく、多分に感覚的なバグ探し、バグ潰しでした。感覚を解き澄ませて、ちょっとしたコンピュータの動きや表示されるメッセージなどからバグを見つけていくのです。まずこの辺りがあやしい、とアタリをつけるのですが、先輩は事もなげにやってしまいます。直観が働くのでしょう。そんな先輩の鋭さにはいつも驚かされていました。何時になったら自分も先輩のようになれるのだろう、と途方にくれたものです。

もちろん、誰もバグ探しのコツを教えてはくれません。ところが、不思議なもので、見よう見まねでやっていたことが、だんだんと身に付いてくるものです。先輩は日頃は厳しいのですが、仕事を離れると、お酒を飲みながらいろいろな話をしてくれました。そんなおかげもあったのかもしれません。先輩の話の中に、「厄介なバグは夢の中で見つける」というものがありました。そんなことがあるのかと半信半疑だったのですが、実際に経験することになろうとは、思ってもみませんでした。

システムの保守を担当することになってしばらく経った頃、不具合発生の連絡が入りました。なんとしても解決してやろう、とひとり現地に向かったのですが、この不具合はとても難問でした。不具合を起こそうとしても、なかなか再現できないのです。起きてほしい時にはなかなか起こらないものです。そうこうするうちに、一日が過ぎ、二日が過ぎてしまいました。

ようやく現象は分かったのですが、その原因がなかなか分かりません。不具合の現象から様々な仮説を立てるのですが、どれも当たりませんでした。今度こそ間違いない、と思っても、裏切られてしまうのです。正直、逃げ出したくなりました。そうこうしているうちに、とうとう夢の中でバグ探しを始めていたのです。よっぽど追い込まれていたのでしょう。夢の中で見つけたヒントをたよりに、ようやく不具合の原因にたどり着き、無事バグを修正することができました。今となっては、その原因が何だったのか覚えてはいませんが、たしか、複数の原因が絡んでいたように記憶しています。解決までに、ちょうど一週間が過ぎていました。

今思えば、この一週間、あきらめずに一人でバグと向き合ったことが、その後の私に大きな影響を与えてくれたように思います。その後も、いろいろと困難な場面を経験しましたが、その時の経験があったおかげで、どうにか乗り越えてこられたと思っています。ちょうどその頃、問題解決で有名なワインバーグ先生を知りました。私が実際に経験したことから、ワインバーグ先生の話に共感できるところも多く、ソフトウェア開発と問題発見・問題解決に共通する点に気づくことができました。

私たちのまわりにはいろいろな問題がありますし、予期しない問題も起こるものです。そうは言っても、できれば問題には関わり合いたくないのが人情でしょう。また、感情的な行き違いが、解決を一層難しくしてしまうこともあります。でも、問題から目を背けてしまっては、問題を解決することはできません。まず問題と向き合うことが、解決への第一歩なのです。また、最初に問題を見誤ってしまうと、その解決をこじらせ、もぐら叩きの迷路に迷い込むことになりかねません。問題解決は、最初が肝心なのです。まずは、問題を冷静に受け止め、問題の本当の姿を知ろうとすることです。問題が起きると、つい解決を急いでしまいますが、そんなことも問題を見誤ってしまう一因かもしれません。

どんなに困難に見える問題にも、必ず解決策や解決の糸口があるはずです。また、問題解決に取り組むことで、新しい発見や気づきが生まれ、ピンチをチャンスに変えるヒントに出会うこともあります。そのためにも、問題に向き合い、解決をあきらめない心を育てることが大切だと思うのです。

 

「私は頭が良いわけではない。ただ人よりも長い時間、問題と向き合うようにしているだけである。」

アインシュタイン

 

失敗できるありがたさ

百八手(千駄焚)の再現

百八手(千駄焚)の再現

 

百八手(千駄焚)の再現

百八手(千駄焚)の再現

 

上田駅から上田電鉄別所線に乗って別所温泉に向かう途中に、塩田平が広がっています。塩田平は雨が少なく、全国でも有数のため池地帯です。先日、ため池の文化や塩田平の歴史に親しむ「塩田平ため池フェスティバル」が開催されました。イベントの目玉として、塩田平に伝わる雨乞い行事「百八手(千駄焚)」が再現されました。会場の甲田池のまわりを200本を超えるたいまつが囲み、仏式による祈祷の後、一斉に火が点けられました。たいまつが勢いよく燃え上がり、幻想的で貴重なひと時を過ごすことができました。

前回は、ホンダ生みの親、本田宗一郎さんの教えについてお話ししました。本田さんは数多くの偉業を成し遂げましたが、そうした偉業のひとつひとつは、数えきれない程の失敗に支えられているのです。本田さんの人生は、失敗から学び続けることの大切さを教えてくれます。

私たちは、頭では失敗の大切さや失敗から学ぶことを分かっていても、実際に失敗に直面すると、つい失敗を他人のせいにしたり、失敗を認めたがらなかったりするものです。また、失敗を避けようとして、新しいことに取り組むことをためらってしまうこともあります。どんなに小さなことでも、初めてやることはうまくいかないものです。もちろん、誰だって失敗はしたくありませんが、失敗を恐れていては、何ごとも始められないのです。

失敗すると、まわりから何を言われるか分かったものではありません。まわりの目を気にするあまり、失敗の大切さや失敗から学ぶことを忘れてしまい、はじめの一歩を踏み出す勇気が持てないのかもしれません。また、失敗さえしなければ、いつかは成功できると思っている人は多いのではないでしょうか。実はそうではないのです。失敗を恐れて何もしなければ、成功を手に入れることはできません。本田さんの様に、失敗を繰り返して、失敗することで明らかになった課題をひとつひとつクリアすることで、成功にたどり着くことができるのです。失敗を厭わないこと、失敗から学んだ経験を次に生かすことが、真に成功を望む態度であると思うのです。

今日の社会は、失敗や挫折に対する寛容さを失いつつあるように思います。世の中が成熟してきたと言えばそうなのでしょうが、一方で失敗を許す寛容さや余裕が無くなってきているのも事実なのではないでしょうか。確かに、社会が複雑になり、失敗が許されないことも増えています。私が携わっていたシステム開発なども、失敗が許されない世界です。コンピュータのプログラムに間違いがあると、システムが誤作動を起こしてしまい、今やその影響は計り知れません。そのために、何重にもチェックやテストを繰り返すのですが、そんな世界でも、人の失敗を責めることは逆効果にしかなりません。人は間違え、失敗するものです。誤りを責めれば責めるほど、隠そうとするものですし、完璧さを求めれば、どこかに無理が生じてきます。

私は、人が失敗を避け、社会が失敗に対する寛容さを失うことによって、失敗に対する感度が鈍くなり、失敗から学ぶ力が弱くなってしまうことを危惧しています。失敗が許されなくなると、ますます失敗を避け、失敗から学ぶことをやめてしまうのです。その結果、小さな失敗で済む場合でも、大きな失敗を引き起こしてしまいかねません。また、失敗を認めたがらない風土は、様々な改善や大きな失敗の予兆に気づく機会を逸してしまい、その結果、組織や社会の危機を招きかねません。

もちろん、私は失敗することを勧めている訳ではありませんし、失敗しないことに越したことはありません。要は、失敗したあとが肝心なのです。失敗はマイナスの面だけではありません。失敗から学べることはたくさんありますし、失敗してはじめて分かること、見えてくることもあるのです。人や組織は、失敗や挫折から学ぶことで成長するものです。「失敗は成功の母」という言葉もあります。「大きな成功は小さな失敗の集まり」でもあるのです。

 

へこたれない心

上田祇園祭り

上田祇園祭り

信州上田大花火大会

信州上田大花火大会

 

先日、信州上田の夏を彩る、上田祇園祭りや大花火大会が盛大に行われました。信州上田もいよいよ夏本番です。 

私が尊敬する経営者に、ホンダの創業者、本田宗一郎さんがいます。もっとも、本田さんは経営者というより、「おやじさん」と呼ばれ、生涯、技術屋として油にまみれていた、そんなイメージが強い方です。 

本田さんが本田技術研究所(現在の本田技研工業)を立ち上げたのが1946(昭和21)、終戦の翌年です。戦争が終わって、日本もガラリと変わってしまい、誰もが食べるのに精いっぱいだった、そんな時代です。戦争中は、東海精機という会社で軍用機のエンジンやピストンリングなどを作っていましたが、東海精機にはトヨタも出資していましたから、終戦後には、「トヨタの下請けをやらないか」という誘いもあったそうです。そんな時代ですから、とてもありがたい話だったのでしょうが、その誘いを断って、あくまでも自分の意思でものごとを進めることにこだわったのです。結局、東海精機を手放して、本田技術研究所を立ち上げるのです。ちょうど軍がストックしていた通信機用のエンジンを、自転車に付けられるように改造して売り出したところ、それが大当たり。これがいわゆる「バタバタ」で、当時の闇屋の足として、たいへん重宝がられたそうです。 

本田さんといえばレース好きで有名ですが、ホンダを一躍世界的に有名にしたのが、オートバイのマン島レースです。もっとも、このレースに出場することを宣言した後、実際にマン島レースを見た時には、外国製オートバイの技術の高さに度肝を抜かれ、「とんでもない宣言をしたものだ」と後悔したのだそうです。当時の日本のオートバイは、とても世界に通用するレベルではなかったのです。けれども、そこでへこたれずに、果敢にチャレンジするのが本田さんです。 

マン島のレースに勝つためには、今までのエンジンの数倍の馬力を出す必要がありました。そこで、本田さんは、エンジンの回転数を上げることを目指したのです。しかも、その目標が半端じゃない。それまでのエンジンの回転数は、30004000回転。それを一挙に800010000回転まで引上げようというのです。もちろん、周りの技術者は大反対。「できる訳がない」の一点張りです。それでも、みんなで必死に頑張って、この難題をクリアしてしまいます。目標が高ければ高いほど、問題もたくさん出るものです。エンジンの回転数を上げると、ピストンリングやバルブなどの部品が悲鳴をあげ、次々に故障してしまいます。そんな問題をひとつひとつ乗り越えながら、世界と互角に戦えるオートバイを作りだしたのです。ホンダはマン島レースで優勝し、本田さんも「世界のオートバイ王」と呼ばれるようになります。 

こうした本田さん達の努力が、自動車の開発、そしてマスキー法を世界で初めてクリアしたCVCCエンジンの実現につながっていくのです。マスキー法は、1970年にアメリカ議会で成立するのですが、1975年までに自動車の排気ガス中の有害成分を十分の一に減らそうというもので、ほとんどの自動車会社も、「実現は難しい」と考えていました。そんな中で、ホンダはCVCCエンジンによって、その基準をクリアするのです。本田さんの夢は、ガソリンを完全に燃焼させ、公害物質を出さない、燃費の良い完璧なエンジンを作ることでした。本田さんがマン島レースで実現した高回転エンジンは、そんな本田さんが目指すエンジンへの一歩を踏み出したものなのです。そして、その歩みが、CVCCエンジンを生み出すのです。 

いつも大きな夢を追い求めた本田さん。好奇心が人一倍強く、何事にも「見たり、聞いたり、試したり」を徹底して、経験から学んでいった本田さん。失敗を厭わず、失敗の大切さ、失敗と成功は表裏一体であることを知っていた本田さん。「こわいのは失敗することではなく、失敗を恐れて何もしないことだ。」という有名な言葉も、そうしたご自身の体験から出てきたのでしょう。 

そんな本田さんでも、いや、そんな本田さんだからこそ、何度も挫けそうになったことでしょう。そんな時に、本田さんを支えたのが、何ものにも頼らない自立心や「へこたれない心」だったのです。終戦後の焼野原で、トヨタの下請けになることを断ったのも、「大樹の下で安楽にやることを徹底的に嫌っていた」(参考文献まま)という本田さんの自立への思いから発しているのです。また、マン島レースの時のように、周囲から「できっこない」と言われると、「それならやってみようじゃないか」と、かえって火がついてしまう。そんな「へそ曲がり」なところも、不可能を可能に変える原動力だったのかもしれません。あきらめることは、いつでもできます。あきらめずにもう一歩踏ん張ってみる、そんな「へこたれない心」も、こうした様々な体験を通して養われていったのかもしれません。 

「もっと良くなるはずだ」、「もう一工夫してみよう」という前向きな思いや困難な課題に立ち向かうことよりも、良く見せようとその場を取り繕い、失敗を避けて通ることが横行する昨今。本田さんのひたむきで一本筋の通った教えに、今一度耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。 

久々にF1に復活したマクラーレン・ホンダ。活躍が楽しみです。

  

以下の文献を参考にさせていただきました。

 「わが友 本田宗一郎」   井深 大 著  (ゴマブックス株式会社) 2015 (1991年刊行の復刊)

 

 

 

ヒューマンスキルの育て方

さなだどりーむ号

さなだどりーむ号

別所温泉駅のさなだどりーむ号

別所温泉駅のさなだどりーむ号

 

上田電鉄別所線に新しい仲間が増えました。真田幸村の赤備え鎧をイメージした2両編成の電車「さなだどりーむ号」です。この愛称は、島根県の高校生からの応募によるものです。塩田平を走る「さなだドリーム号」、力強さが感じられます。 

前回のコラムでは、ヒューマンスキルの「考える力」と5つのスキルついてお話ししました。繰り返しになりますが、5つのスキルとは、「成長力」、「コミュニケーション力」、「計画力」、「問題解決力」そして「育成力」です。ヒューマンスキルは人間力とも呼ばれ、コミュニケーション力や向上心、積極性やリーダーシップなどのことを言います。最近では、困難な課題に立ち向かうチャレンジ力や変化への対応力なども人間力として注目されています。これらはその人の人となりによるところが多く、生まれつき備わっているものと思われがちです。もちろん、生まれつき人間力が優れている人もいるのでしょうが、と同時に、経験や努力によって伸ばすことができるものでもあるのです。 

5つのスキルのうち、ヒューマンスキルに直接関係がありそうなのは、「コミュニケーション力」、「成長力」、そして「育成力」でしょうか。残るのは、「計画力」と「問題解決力」の2つですが、前回のコラムでもお話ししましたように、どちらも一般的にはコンセプチュアルスキル(私は、ビジネススキルと呼んでいます。)に位置付けられるものです。なぜ、それらをヒューマンスキルとしているのかと言いますと、以下の3つの理由が挙げられます。 

第一の理由は、私たちが生きている現代社会やビジネスの世界は、変化が激しく、日々複雑化していることです。そのために、ものごとを計画的に進めたり、様々な課題や問題を解決するためには、小手先のテクニックやノウハウでは歯が立ちません。自分の頭で考え抜くことや、その考えにもとづいて判断し行動することが必要なのです。また、いくら専門的なスキルを身に付けていても、それだけでは複雑に絡み合った問題を解決することは難しいものです。コミュニケーション力や、信頼感などの人間力が求められる問題も増えているように思います。また、計画力や問題解決力の基本が身に付いていなければ、自信も生まれず、困難な課題にチャレンジしたり、激しい変化に対応することもできません。 

二番目の理由としては、ヒューマンスキル自体が漠然としていることが挙げられます。そのため、ヒューマンスキルを伸ばすには何をすれば良いのか、よく分からないのが現状ではないでしょうか。どんなスキルも努力することなしに手に入れることはできませんが、どんな努力をすれば良いのか分からなければ、努力のしようもありません。そこで、計画力と問題解決力を含めた5つのスキルを明示することによって、ヒューマンスキルが手の届くものになると思うのです。 

三番目の理由ですが、私たちの計画力や問題解決力を弱めているものは、実は、私たちの心の中に潜んでいる、ということが挙げられます。「問題は解決したいが、できれば自分からは動きたくない。」「自分がやらなくても、きっと誰かが解決してくれるはず。」「計画どおりにものごとが運ぶわけがない。」等々、頭では分かっていても、体が動かないことも良くあることです。そのために、問題解決の機会を逃してしまい、せっかくの努力が成果につながらないことにもなりかねません。ですから、ヒューマンスキルと計画力、問題解決力とは、切っても切れないものなのです。 

人は環境の動物と言われています。与えられた環境において、さまざまな経験を通して学習し、成長していくものです。「一期一会」という言葉がありますが、日々の出会いや体験はたった一度だけのものです。そうした身の回りの出来事に全力で取り組み、その経験を振り返ることが、生きた学習であり、学びなのです。こうした学びを日々積み重ねることで、今日の経験や失敗を明日の成功につなげ、自分には無理に思える能力やスキルを身に付けることができるのです。身の回りの出来事に、ただ身を委ねているだけでは学びは起こりません。そのことが、同じ経験をしても、伸びる人と伸びない人の差を生むのです。また、どんなに良い事でも、人から言われてやることには身が入りませんし、身にはつき難いものです。自発的にものごとに取り組むことも、ヒューマンスキルを伸ばす上で大切なことなのです。 

5つのスキルは、お互いに関係しています。思考力が、5つのスキルを強めることはもちろんですが、5つのスキルは、お互いに補い合うものです。ヒューマンスキルを開発する際には、5つのスキルのうち、皆さんにとって、最も必要なものから取り組まれたら良いでしょう。必要性(ニーズ)こそが成長をもたらすのです。あきらめず、頑張りすぎず、自分にあったペースで一歩一歩積み重ねていけば、いつか大きな収穫が得られるのです。誰から言われたのでもない、自分のための学びのプロセスを創り出すことが、皆さんのヒューマンスキルを育てていくことにつながるのです。無理をせずに、少しずつ皆さんにあったペースでトライしてみましょう。 

ヒューマンスキル研究所のセミナーも、そうしたきっかけづくりの場として活用していただけたらと思っています。無料のセミナーもありますので、一度参加されてみては如何でしょうか。

 

 

知恵を生む力とヒューマンスキル(2)

信州国際音楽村のすいせん

信州国際音楽村のすいせん

信州国際音楽村

信州国際音楽村

 

信州上田では、今、桜が満開です。急に冬の寒さが戻ったりもしましたが、信州国際音楽村では、満開のスイセンと桜のコラボレーションを楽しむことができました。

 前回のコラムでは、知恵を生み出すためには、人の要素や人間的側面が重要な役割を担っていることをお話ししました。これらは、ヒューマンスキルとして、ロバート・カッツのスキルモデルにも位置づけられているものですが、そのイメージはもうひとつはっきりしていないようです。ヒューマンスキルが大切なことは分かっていても、それは持って生まれたものなのか、努力によって伸ばすことができるのか、伸ばせるとしたら、どうしたら伸ばすことができるのか、分かっているようで分かっていないのが本当のところではないでしょうか。そこで、今回のコラムでは、前回に続いてヒューマンスキルについてお話ししてみたいと思います。

 私は、ヒューマンスキルは伸ばすことができるもので、誰でもそのタネを持っていると思っています。そのタネを上手に育てて、大きな実を実らせている人もたくさんいるのですが、その一方で、せっかく持っているタネをうまく育てられない人や、タネを持っていることに気づいていない人がいることもまた事実なのです。

 では、どうしたらヒューマンスキルを伸ばし、知恵を生み出すことができるようになるのでしょうか。知恵を出すためには、考える力、思考プロセスを鍛えることが大切であると、以前お話ししました。私は、ヒューマンスキルの中心に思考力、考える力があると思っています。考えることは、その人の人間的な側面と深く関わっているものですし、ものごとを深く考えるためには、感情などの様々な影響をコントロールする必要があります。そうしたことから、思考力や考える力をヒューマンスキルの大切な要素として位置付けています。そして、思考力のまわりに5つのスキルを定義しています。これらのスキルもまた、人間的な要素と深く関わっており、いずれもビジネスパーソンにとって欠くことのできないものです。いくら考える力や思考プロセスを鍛えることが大切だと分かっていても、何を考えたらよいのか、どこで知恵を出したらよいのかが分からなければ、前に進むことはできません。これらの5つのスキルを開発することによって、知恵を出すためには何を考えたら良いのか、知恵の出しどころが分かり、考える力が触発されるのです。

 私が挙げる5つのスキルを以下に示します。

  成長力・・・成功や失敗した経験からものごとを学ぶとともに、自分に足りていないものを知り、必要な知識やスキルを身に付ける力。自己成長のためのエンジン。

 コミュニケーション力・・・相手の考えや思いを傾聴し、理解する力。自分の考えや思いを相手に分かり易く伝え、表現し、相手の理解を促す力。

 計画力・・・ものごとを計画的に進める力。目指すべき目標を定め、関係するメンバーと共に、その実現を目指す力。想定外の事象が発生した場合にも、柔軟に対応する。

 問題解決力・・・問題自体を正しく把握し、その原因を見極めて問題解決を図る力。また、問題の解決に欠かすことのできない、関係者の合意形成を促進する力。

 育成力・・・自分が与えている影響力に気づき、コントロールすることによって、他者の成長を促進する力。個人や組織の学習効果を最大化する力。

 これらの5つのスキルを高めるためには、最低限の知識が必要になります。いわば、実践のための知識とでも言えるものです。そうした知識は、言われてみれば当たり前ということが多く、決して難しいものではありません。どちらかと言うと、私たちが日頃思っていることに近いものです。大切なのは、そうした、言われてみれば当たり前のことを実際に行うことができるかどうかなのです。また、これらのスキルはお互いに関連を持ち、それぞれがお互いを強め合うものです。ですから、いずれかのスキルを磨いていけば、他のスキルを獲得することも容易になるのです。職業や立場によって必要とされるスキルも違ってきますから、まずは自分が得意なものや必要なものから身に付けていけば良いと思います。

 一見すると、コンセプチュアルなスキルと考えられている問題解決力や計画力をヒューマンスキルの範疇に置くことに違和感を持つ方もいらっしゃるかもしれません。ですが、問題解決やものごとを計画的に進めることを難しくしている要因の多くが、実は人間的なものであることを考えると、これらをヒューマンスキルの範疇に置くことも一理あるのではないでしょうか。考えるというと、頭で考えるものと思いがちですが、一方で、心で思うこと、思索することもあるのです。ヒューマンスキルは、そうした心の営みを、頭で考えることにつなげるためのスキルといえるのかもしれません。スキル開発が知識やテクニックに走り、ややもすると、人の心を動かせない「スキル倒れ」に陥ってしまうことを考えると、やはりスキルはヒューマンな世界に根ざす必要があると思うのです。

 

 

 

知恵を生む力とヒューマンスキル(1)

上田駅前イルミネーション

上田駅前イルミネーション

上田駅前イルミネーション

上田駅前イルミネーション

 

この314日に、北陸新幹線の長野、金沢間が開業しました。関東と北陸が短時間で結ばれ、信州から北陸にも一時間ほどで行くことができるようになりました。これを機会に、多くの皆様が信州や上田の魅力に触れることを期待したいと思います。

 前回は、知識を獲得することと、知恵(智恵)を生み出す力を身につけることは別のこと、とお話ししました。一般に、知識を得れば、知恵を生み出す力も自ずと身に付いてくると思われがちですが、そうではないのです。そうした誤解が強いために、私たちの身の回りで発生する様々な問題がなかなか解決されない一因になっているのかもしれません。では、知恵や工夫を生み出す力を身に付け、問題の解決策を見出すためには、どうしたら良いのでしょうか。私は、知恵や工夫の源泉は、皆さんのヒューマンスキルの中に存在すると考えています。

 問題解決ついて言えば、世の中には数多くの問題解決手法がありますから、それらを駆使すればたくさんの問題が容易に解決できそうなものです。ところが、現実はそうではありません。それらの手法は特定の分野にしか適用できなかったり、そのままでは現実の問題に当てはめることが難しかったりするものです。また、問題解決に取り組む際に、その前段階のところで躓いてしまうことも多いものです。問題が起きていても、その発生に気づかない。問題に気づいても、あいまいな情報や思い込みのために、解決すべき問題を取り違えてしまう。また、問題の一部だけを見て問題の原因を見誤ってしまい、もぐらたたき的な問題解決に終始することも良くあります。冷静な時ならまだしも、問題が発生すると、誰でも焦ってますます悪循環に陥ってしまうものです。そんなことが重なってくると、つい問題解決から逃げ腰になったり、諦めが先に立つようになってしまいます。この様に、実際の問題解決においては、ものの見方や考え方、問題解決に取り組む姿勢など、人的要素が問題の解決や知恵を出すことに大きな影響を与えているのです。また、問題解決において重要な合意形成のプロセスも、たいへん人間的なものです。これらは、問題解決の例ですが、コミュニケーションやものごとを計画的に進める力などにおいても、同様のことが言えると思います。

 私は、正しい問題解決や良好なコミュニケーションを実現するためには、人的要素や心理的な要素、ヒューマンスキルにもっと注目し、理解を深める必要があると思っています。問題解決を取り巻く様々な悪循環を断って、冷静に問題を受け止め、その解決プロセスに従って段階を踏んでいけば、多くの問題や課題は思われているよりも容易に解決することができるのです。

 一般的に、ヒューマンスキルはよく「人間力」とも言われていますが、その提唱者であるハーバード大学のロバート・カッツは、マネージャに求められる能力としてヒューマンスキルをはじめ、以下のスキルを定義しています。

  ・ヒューマンスキル・・・対人関係能力とも言われる。業務を遂行している上で他者との良好な関係を形成する力。具体的にはコミュニケーション力、ネゴシエーション力など。

 ・テクニカルスキル・・・職務遂行能力とも言われる。職務を遂行する上で必要となる専門知識や業務知識、業務処理能力。

 ・コンセプチュアルスキル・・・概念化能力とも言われる。抽象的な考えや物事の大枠を理解する力。具体的には、論理的思考力、問題解決力、応用力など。

 これらの3つのスキルが互いに連携し合うことで、与えられた業務を円滑にこなすことができると言われており、この3つのスキルともに大切なものです。そうは言っても、テクニカルスキルは日々の仕事を行うために必要になる業務知識やノウハウなど、仕事に直接効いてくるものですから、ついそこに目が向き、他のスキルは軽視されがちです。

 コンセプチュアルスキルという言葉は、聞きなれない方もいらっしゃると思いますが、上位のマネージャにとって必要なものです。ビジネススキルとも呼ばれ、ビジネスの複雑化、高度化に伴って、新しいスキルも様々なものが定義されています。問題解決力や計画力などもこのスキルに含まれるものと言われています。このスキルは、ビジネスパーソンとして成長するに従って、よりコンセプチュアルなスキル、高次なスキルとして進化していくものなのです。

 ヒューマンスキルは、今日では、全てのビジネスパーソンに必要なものと言われています。また、近年、就職活動において重視されるスキルとして注目を集めています。ヒューマンスキルは、他者との良好な人間関係を築くコミュニケーション能力やロジカルシンキング(論理的思考)などの基本的なスキルをはじめ、困難な課題に立ち向かう積極性や常に自分を高める向上心、変化に対応する力やチームを統率するリーダーシップなどたいへん幅広い意味で用いられています。ところが、その具体的なイメージや育成に関しては、あまり明確になっていません。先ほど述べたように、問題解決においても人的要素が大きな影響を与えていますから、ヒューマンスキルについて理解を深め、開発することができれば、問題解決力を身に付けることにつながるはずです。また、テクニカルスキルとヒューマンスキルを連携させることで、業務や職場を改善するための知恵や工夫を生み出すこともできるのです。ヒューマンスキルは、その人が長年培ってきた業務ノウハウや経験、その人が持つ人格や思いなどに根ざしているものですから、その潜在力は計り知れません。そうした潜在力に気づき、引出すことで、知恵や工夫を生み出すことができると思うのです。

 次回も、ひき続きヒューマンスキルについて考えてみたいと思います。

 

知恵を生む力

北向観音節分会

北向観音節分会

北向観音節分会

北向観音節分会

 

別所温泉北向観音で、毎年恒例の節分会が行われました。今年も、九重親方や女優の藤田朋子さんをはじめ、数多くの著名人が参加する盛大な豆まきでした。 

前回は、中教審の大学入試制度改革についてお話ししました。そのなかで、現在の教育が「知識の暗記や再生に偏っている」ことに触れました。学校教育では、長い間、先生が生徒に講義形式でものごとを教え、その教育効果や理解の度合いは、テストや試験の点数で評価されてきました。また、高校や大学などの入学試験の仕組みも、そうしたテストの点数や偏差値が物を言う価値観を助長してきました。一昔前のように、欧米というお手本があって、追いつき追い越せで頑張っていた時代にはそれでもまだ良かったのかもしれませんが、今や追いかけられる立場に様変わりしており、従来の学校教育の弊害が目立ってきているのです。

 教育が知識の獲得に偏ることの弊害は、様々なところに現れています。高校や大学の序列化、いわゆる学歴の問題をはじめ、知識や理解力を評価するあまり、安易に答えだけを求め、ものごとに疑問を持ったり、立ち止まって考えたりすることが疎かにされる傾向にあります。そのために、考える力や想像力を伸ばす機会が減り、他者を思いやる心の衰退を招いているように思われます。また、過去の実績や前例にとらわれるあまり、創造力やチャレンジすることを阻害してしまうこともあります。そうしたことが、学ぶ意味や目的、そして学ぶ喜びを見つけることを難くしてしまっているのかもしれません。

 大前研一氏が著書「考える技術」の中で、日本とアメリカでの教育の違いについて述べています。大前氏がMIT(マサチューセッツ工科大学)で原子力を学び、ドクター(博士号)試験を受けた時のことです。答えは全て合っていたにも関わらず結果は不合格。ちなみに、試験問題は、月の上の架空の原子炉で、制御棒によって原子炉を停止させる際の炉心の温度上昇とその安全性について答える、というものだったそうです。なぜ不合格なのか、その理由を先生に尋ねると、「数字があっているだけで思考のプロセスがはっきりしていない。これはエンジニアとしてもっとも危険なこと。」という返事が返ってきたそうです。合格した学生たちは、「数字は違っていても、『安全かどうか』について論陣をはり、なぜ重力の小さい月の上で地球上と同じやり方をすると危ないのか、どうすればより安全になるのかという思考プロセスを解答用紙に書き込んでいた」のだそうです。また大前氏は「日本の試験では方程式に当てはめて、答えがあっているかどうかが試されるが、アメリカでは方程式そのものをゼロから導き出す力が問われる。」とも言っています。

 社会に出ると、答えのない問題や答えがいくつもある問題をどう解くのかが問われます。そのためには、自分の頭でものごとを考える思考プロセスを身に付けていることが求められます。自分の思考プロセスを働かせることで、知識や情報から具体的な問題を解くための知恵やアイディアを生み出すことができるのです。学校の成績が良くて、知識を沢山身に付ければ、知恵を生みだす力も身に付くと思われがちですが、そうではありません。実際には、学校を卒業して社会に出てから、そのギャップに驚き、痛い思いや経験を通して知恵を生み出すすべを身に付けているのが現実なのです。知識は覚えること、記憶することで身に付けることができますが、知恵を生み出す力は頭で理解するだけでは、身につきません。実際にやってみて、成功や失敗をくりかえしながら身に付けていくものなのです。

 学校教育でも、既に新しい取り組みが始まっています。前長野県教育長山口氏は、著書「信州教育に未来はあるか」の中で、そうした取り組みの事例や、今後教育が進むべき方向性を示しています。その中で、山口氏は、「理解し吸収する教育」と「解決する学び」についてふれています。もちろん、前者の教育が不要になるわけではありませんが、先生達が自ら課題や問題の解決に取り組み、学び成長することは、先生と生徒、教えるものと教えられるものという従来の関係から、共に学び合う、という新しい関係を生み出すチャンスでもあると思うのです。

 複雑化し、先が見えないビジネスの現場では、様々な目標を達成し、問題を解決するための知恵が求められます。また、私たちの身の回りには、少子高齢化、人口減少や経済的格差など、深刻な問題もたくさん存在しています。いくら知識や情報を持っていても、それだけでは何も解決することはできません。課題や問題の解決策を模索し、私たちが進むべき道を見いだすこと、すなわち知恵を出すことが本来の目的であって、知識や情報はそうした知恵を出すための大切な手段なのです。そのためにも、従来の知識中心の教育から、知恵を生み出す学びの促進に舵を切ることが、学校教育のみならず、家庭や企業をはじめ社会全体において求められていると思うのです。

 

以下の文献を参考にさせていただきました。

「考える技術」       大前研一 著 (講談社)    2004

「信州教育に未来はあるか」 山口利幸 著 (しなのき書房) 2014

学ぶ心 -中教審答申に思う-

正月の烏帽子岳

正月の烏帽子岳

 

2015年、新しい一年がスタートしました。本年も皆様にとって実り多い一年でありますよう願っております。 

昨年の暮れに、中教審(中央教育審議会)から大学入試の改革案が答申されました。この答申では、2020年を目途に、高等学校教育、大学教育および大学入学者選抜の一体改革を進めるよう提言しています。従来の大学入試センター試験や教育システムは「知識の暗記・再生に偏りがち」との反省から、思考力・判断力・表現力の育成を重視して、主体的に様々な人々と協働する力を育むことがそのねらいです。私も、知識や偏差値に偏った教育の弊害やその根深さを実感しており、今回の答申に期待しています。 

ビジネスの世界は日々変化しており、情報技術やネットワークの進化は、従来の産業構造を変革する勢いです。そうした中で、新しい事業やソーシャルメディアを駆使した新しい働き方が生まれつつあります。答申でも、「2011年にアメリカの小学校に入学した子供たちの65%は、大学卒業後、今は存在していない職業に就く」というキャシー・デビッドソン氏(ニューヨーク市立大学大学院センター教授)の予測が紹介されています。私が30数年前に飛び込んだソフトウェアの世界も、当時は全く新しい産業でしたから、氏の言葉にも説得力があります。 

一方、大学を始めとした教育システムは、そうした変化や厳しさを増すグローバル競争に十分対応できていないように思えてなりません。グローバル競争の中で、企業は日々変化することを求められており、大学教育とのギャップもますます広がる傾向にあります。また、現代社会が抱える少子高齢化や地域活性化などの問題も様々なジレンマを抱えており、従来の常識やルールを超えた新しいアイディアや取り組みが求められています。このように、産業界や社会の教育に対するニーズもますます多様化しており、そうした様々なニーズに対応できる「人づくり」のための教育システムが求められています。 

もちろん、大学には、研究機関としての役割もあります。そうした大学の役割を否定するものではありませんが、そのことが、知識に偏った教育観を助長してきたことは否めないと思います。また、大学受験が目的となった高校教育では、知識や問題を解くテクニックを覚えることに終始してしまい、ものごとを広い視野から考える力や、知識を活用して知恵を生み出す力を育むことが蔑ろにされているように思われます。 

今回示された中教審の答申については、その方向性についてはおそらく多くの方が賛同されると思われますが、その具体的な制度設計にあたっては、課題も多く、様々な議論があるものと思われます。実際に教育に携わる人々も、従来の教育システムの中で育っているため、従来の教育観や価値観に少なからず囚われていることも事実です。また、教育をとりまく悪しき平等主義や教育現場のモラルハザードなど、答申の内容とは逆行する深刻な問題も山積しています。 

とかく教育というと、学校での教育が注目されがちですが、思考力や判断力などを育成するためには長い時間が必要ですから、家庭や企業、地域社会の人づくりに果たす役割の大切さについても、再認識する必要があると思います。「教育なんて、自分には関係ない」と思っている私たち大人の言葉や行いが、若者の学ぶ意欲や新しいことにチャレンジする意欲を促すことも、削いでしまうこともできるのです。 

いずれにしても、これからの時代を切り拓いていくのは若者たちです。これまでの常識や価値観が変わっていく中で、一人ひとりがその持てる力を開花させ、幸せで実り多い人生を生きるために、考える力や学ぶ力が求められてくることは間違いありません。そのためにも、教育の現場はもちろんですが、家庭や企業・地域社会においても、「人生は学び続けること」との思いを共有することが大切です。若者の「学ぶ心」を育むためにも、私たち大人も「学ぶ心」を持ち続けることが求められていると思うのです。

  

「学校で学んだことを、一切忘れてしまったときになお残っているもの、それこそ教育だ。」

                           アインシュタイン

 

考えることのすすめ

雪の塩田平

雪の塩田平

雪原を走る別所線

雪原を走る別所線

 

この冬は、全国的に雪が早く、多くなっています。信州上田も、12月には珍しく、一面の雪景色です。 

この間、考えることや考える力の伸ばし方について取り上げてきました。今回は、そのまとめとして、考えることの効果やメリットについて考えてみたいと思います。 

考えること、思考力の大切さは、誰もが認めるところですが、考えることについて改めてとりあげると、「考えることなんて、なんで今さら」とか、「当然できているに決まっているじゃないか」などとお叱りを受けるかもしれません。ところが、自分の考える力に自信を持っている人は、案外少ないのかもしれません。考えることは、あまりにも身近すぎるために、かえって見えにくくなっているのかもしれません。 

考える力を伸ばそうと努力する人がいる一方で、考えることに無頓着だったり、あきらめてしまっている方もいらっしゃるのではないでしょうか。考えをまとめようとしても、考えが発散してうまくまとまらない。考えを進めていくと、分かっていると思っていたことが実はよく分かっていなかったりして、ますます考えることがいやになってしまう。まさに悪循環です。たしかに、考えることは面倒でイライラすることも多いものです。でも、それは一足飛びに高いバーを飛び越えようとしているからなのかもしれません。そうならないためにも、日頃から皆さんにあったペースで考えるトレーニングをしてみることも良いのではないでしょうか。 

分かっていると思っていたことが、実はよく分かっていないことに気づくことも、今までより一歩踏み込んで考えている証拠なのかもしれません。分かっていなかったことについて、より知ろうとするば良いのです。このように、考える力が身についてくると、皆さんの行動や身の回りで様々な変化が起きてきます。そうした変化は、一見マイナスに見えるものであっても、実は皆さんにメリットを与えてくれるものなのです。その例をいくつかあげてみましょう。 

 

・ものごとをより深く理解することができる。分かっていると思い込んでいたことでも、理解できていないことに気づき、理解を深めることができる。ものごとの表面的な理解に留まらず、様々な角度から見ることで、本質的な理解に近づくことができる。

・一時の感情やまわりの意見に振り回されることが少なくなる。好き嫌いなどの感情の動きを客観的にとらえ、そうした感情がなぜ起きたのかを知ることで、感情のエネルギーをコントロールすることができる。また、まわりの意見を無批判に受け入れるのではなく、その真意を知り、自分の考えを育てる参考にできる。

・自分の考えを押し付けようとしないで、言いたい事や考えを筋道立てて考え、相手にとって分かり易く伝えることを心がけるようになる。

・人の話をよく聞くようになる。自分の感情や思い込みのために、大切な内容を聞き漏らしたり、誤解することがなくなる。話し手に対して、理解と関心を持って接することができるようになる。 

・自分の限界や足りないものを知り、視野や考えを広げることができる。新しい発想やアイディアなどを手に入れ、自分の可能性を広げることができる。

 

ここに挙げた他にも、考えることのメリットは数えきれません。考える力はすぐに身に付くものではありませんが、これらの変化を感じ、変化を味方につけることによって、さらに伸ばしていくことができるのです。誰かと会話する時はもちろん、ふと疑問が湧いた時やゆきづまりを感じた時など、考える力を伸ばす機会は、皆さんのまわりにたくさんあるのです。