知恵を生む力

北向観音節分会

北向観音節分会

北向観音節分会

北向観音節分会

 

別所温泉北向観音で、毎年恒例の節分会が行われました。今年も、九重親方や女優の藤田朋子さんをはじめ、数多くの著名人が参加する盛大な豆まきでした。 

前回は、中教審の大学入試制度改革についてお話ししました。そのなかで、現在の教育が「知識の暗記や再生に偏っている」ことに触れました。学校教育では、長い間、先生が生徒に講義形式でものごとを教え、その教育効果や理解の度合いは、テストや試験の点数で評価されてきました。また、高校や大学などの入学試験の仕組みも、そうしたテストの点数や偏差値が物を言う価値観を助長してきました。一昔前のように、欧米というお手本があって、追いつき追い越せで頑張っていた時代にはそれでもまだ良かったのかもしれませんが、今や追いかけられる立場に様変わりしており、従来の学校教育の弊害が目立ってきているのです。

 教育が知識の獲得に偏ることの弊害は、様々なところに現れています。高校や大学の序列化、いわゆる学歴の問題をはじめ、知識や理解力を評価するあまり、安易に答えだけを求め、ものごとに疑問を持ったり、立ち止まって考えたりすることが疎かにされる傾向にあります。そのために、考える力や想像力を伸ばす機会が減り、他者を思いやる心の衰退を招いているように思われます。また、過去の実績や前例にとらわれるあまり、創造力やチャレンジすることを阻害してしまうこともあります。そうしたことが、学ぶ意味や目的、そして学ぶ喜びを見つけることを難くしてしまっているのかもしれません。

 大前研一氏が著書「考える技術」の中で、日本とアメリカでの教育の違いについて述べています。大前氏がMIT(マサチューセッツ工科大学)で原子力を学び、ドクター(博士号)試験を受けた時のことです。答えは全て合っていたにも関わらず結果は不合格。ちなみに、試験問題は、月の上の架空の原子炉で、制御棒によって原子炉を停止させる際の炉心の温度上昇とその安全性について答える、というものだったそうです。なぜ不合格なのか、その理由を先生に尋ねると、「数字があっているだけで思考のプロセスがはっきりしていない。これはエンジニアとしてもっとも危険なこと。」という返事が返ってきたそうです。合格した学生たちは、「数字は違っていても、『安全かどうか』について論陣をはり、なぜ重力の小さい月の上で地球上と同じやり方をすると危ないのか、どうすればより安全になるのかという思考プロセスを解答用紙に書き込んでいた」のだそうです。また大前氏は「日本の試験では方程式に当てはめて、答えがあっているかどうかが試されるが、アメリカでは方程式そのものをゼロから導き出す力が問われる。」とも言っています。

 社会に出ると、答えのない問題や答えがいくつもある問題をどう解くのかが問われます。そのためには、自分の頭でものごとを考える思考プロセスを身に付けていることが求められます。自分の思考プロセスを働かせることで、知識や情報から具体的な問題を解くための知恵やアイディアを生み出すことができるのです。学校の成績が良くて、知識を沢山身に付ければ、知恵を生みだす力も身に付くと思われがちですが、そうではありません。実際には、学校を卒業して社会に出てから、そのギャップに驚き、痛い思いや経験を通して知恵を生み出すすべを身に付けているのが現実なのです。知識は覚えること、記憶することで身に付けることができますが、知恵を生み出す力は頭で理解するだけでは、身につきません。実際にやってみて、成功や失敗をくりかえしながら身に付けていくものなのです。

 学校教育でも、既に新しい取り組みが始まっています。前長野県教育長山口氏は、著書「信州教育に未来はあるか」の中で、そうした取り組みの事例や、今後教育が進むべき方向性を示しています。その中で、山口氏は、「理解し吸収する教育」と「解決する学び」についてふれています。もちろん、前者の教育が不要になるわけではありませんが、先生達が自ら課題や問題の解決に取り組み、学び成長することは、先生と生徒、教えるものと教えられるものという従来の関係から、共に学び合う、という新しい関係を生み出すチャンスでもあると思うのです。

 複雑化し、先が見えないビジネスの現場では、様々な目標を達成し、問題を解決するための知恵が求められます。また、私たちの身の回りには、少子高齢化、人口減少や経済的格差など、深刻な問題もたくさん存在しています。いくら知識や情報を持っていても、それだけでは何も解決することはできません。課題や問題の解決策を模索し、私たちが進むべき道を見いだすこと、すなわち知恵を出すことが本来の目的であって、知識や情報はそうした知恵を出すための大切な手段なのです。そのためにも、従来の知識中心の教育から、知恵を生み出す学びの促進に舵を切ることが、学校教育のみならず、家庭や企業をはじめ社会全体において求められていると思うのです。

 

以下の文献を参考にさせていただきました。

「考える技術」       大前研一 著 (講談社)    2004

「信州教育に未来はあるか」 山口利幸 著 (しなのき書房) 2014

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