学ぶ心 -中教審答申に思う-

正月の烏帽子岳

正月の烏帽子岳

 

2015年、新しい一年がスタートしました。本年も皆様にとって実り多い一年でありますよう願っております。 

昨年の暮れに、中教審(中央教育審議会)から大学入試の改革案が答申されました。この答申では、2020年を目途に、高等学校教育、大学教育および大学入学者選抜の一体改革を進めるよう提言しています。従来の大学入試センター試験や教育システムは「知識の暗記・再生に偏りがち」との反省から、思考力・判断力・表現力の育成を重視して、主体的に様々な人々と協働する力を育むことがそのねらいです。私も、知識や偏差値に偏った教育の弊害やその根深さを実感しており、今回の答申に期待しています。 

ビジネスの世界は日々変化しており、情報技術やネットワークの進化は、従来の産業構造を変革する勢いです。そうした中で、新しい事業やソーシャルメディアを駆使した新しい働き方が生まれつつあります。答申でも、「2011年にアメリカの小学校に入学した子供たちの65%は、大学卒業後、今は存在していない職業に就く」というキャシー・デビッドソン氏(ニューヨーク市立大学大学院センター教授)の予測が紹介されています。私が30数年前に飛び込んだソフトウェアの世界も、当時は全く新しい産業でしたから、氏の言葉にも説得力があります。 

一方、大学を始めとした教育システムは、そうした変化や厳しさを増すグローバル競争に十分対応できていないように思えてなりません。グローバル競争の中で、企業は日々変化することを求められており、大学教育とのギャップもますます広がる傾向にあります。また、現代社会が抱える少子高齢化や地域活性化などの問題も様々なジレンマを抱えており、従来の常識やルールを超えた新しいアイディアや取り組みが求められています。このように、産業界や社会の教育に対するニーズもますます多様化しており、そうした様々なニーズに対応できる「人づくり」のための教育システムが求められています。 

もちろん、大学には、研究機関としての役割もあります。そうした大学の役割を否定するものではありませんが、そのことが、知識に偏った教育観を助長してきたことは否めないと思います。また、大学受験が目的となった高校教育では、知識や問題を解くテクニックを覚えることに終始してしまい、ものごとを広い視野から考える力や、知識を活用して知恵を生み出す力を育むことが蔑ろにされているように思われます。 

今回示された中教審の答申については、その方向性についてはおそらく多くの方が賛同されると思われますが、その具体的な制度設計にあたっては、課題も多く、様々な議論があるものと思われます。実際に教育に携わる人々も、従来の教育システムの中で育っているため、従来の教育観や価値観に少なからず囚われていることも事実です。また、教育をとりまく悪しき平等主義や教育現場のモラルハザードなど、答申の内容とは逆行する深刻な問題も山積しています。 

とかく教育というと、学校での教育が注目されがちですが、思考力や判断力などを育成するためには長い時間が必要ですから、家庭や企業、地域社会の人づくりに果たす役割の大切さについても、再認識する必要があると思います。「教育なんて、自分には関係ない」と思っている私たち大人の言葉や行いが、若者の学ぶ意欲や新しいことにチャレンジする意欲を促すことも、削いでしまうこともできるのです。 

いずれにしても、これからの時代を切り拓いていくのは若者たちです。これまでの常識や価値観が変わっていく中で、一人ひとりがその持てる力を開花させ、幸せで実り多い人生を生きるために、考える力や学ぶ力が求められてくることは間違いありません。そのためにも、教育の現場はもちろんですが、家庭や企業・地域社会においても、「人生は学び続けること」との思いを共有することが大切です。若者の「学ぶ心」を育むためにも、私たち大人も「学ぶ心」を持ち続けることが求められていると思うのです。

  

「学校で学んだことを、一切忘れてしまったときになお残っているもの、それこそ教育だ。」

                           アインシュタイン

 

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