人づくりの原点

昨年、中学校の同級生が集まって、恩師の自宅を訪ねる機会がありました。今まで、同級会にも出席できずにいたのですが、ちょうど上田に戻ったところでしたので、今回は参加することができました。中学校卒業から40年余り、懐かしい仲間はみんな還暦を迎えた顔・・・でも、しばらく経つうちに、昔の面影が戻ってきて、気がつくと、思い出話に花が咲いていました。先生のお元気な姿、そして当時と変わらないはりのある声、とてもうれしく思いました。

山下達郎(実はファンなんです・・・)の曲に、「アトムの子」がありますが、ちょうどそんな時代でした。テレビでは鉄腕アトムが活躍し、どんなにいじわるな子でも、最後には仲良くなれた、仲間になれた。けっして豊かではなかったけれど、みんな夢を見ていた。そういえば、山下さんもちょうど同じ年の生まれなんですね。

先生の思い出といえば、こんなエピソードがあります。遠足の時、先生はいつもぼろぼろのベレー帽をかぶっていました。本当にぼろぼろで、なんで新しいものに変えないのかと、不思議に思ったものでした。後で、このベレー帽をかぶると事故に合わないので、手放さずにずっとかぶり続けていらっしゃることを知りました。先生は、私たち生徒の無事を願って、ぼろぼろのベレー帽をかぶり続けていたのです。

先生からは、いろいろ教えていただきましたが、特に、どんなことに対しても全力で取り組むこと、言葉だけでなく実際にやってみること、そして、毎日こつこつと積み重ねることが、最後に効いてくる、結果に結びつくことを教えていただきました。また、間違ったことは、どんなことでも真剣に、真正面から叱ってくれました。どんなに叱られても、「いいか、二度とこんなことはやるなよ!」という温かい声が聞こえてくるように思えたものでした。今思えば、小学校の時の先生もそうでした。どんなことでも、しっかり叱ってくれた。でも、叱られてもどこか優しく、温かい。そんな先生が、たくさんいらっしゃいました。

先生から教わったことは、どれも当たり前のことなのですが、そんな当たり前のことが、やろうと思ってもなかなかできないものです。私自身も何度も経験しました。今思うと、そうした大切なことを教えていただいた、貴重な時間であったのかもしれません。

先生の影響なのか、社会に出てからも人づくりへの思いがあったように思います。それは、私が社会に出て経験した、プロジェクトによるソフトウェア開発というワークスタイルによって、いっそう強められたように思います。プロジェクトは、技術の問題より人の問題のほうがはるかに成功に影響を及ぼす世界なのです。

今またこうして人づくりに関わろうとしているのも、中学の先生をはじめ、すばらしい方々との出会いがあったからなのかもしれません。そんな出会いがあって、今の自分があるように思います。そんな出会いに感謝する毎日です。

 

 別所温泉から上田方面を望む

別所温泉から上田方面を望む

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です